Once Bitten,Never Shy~観ないで死ねるか!~

劇場鑑賞作品について言いたい放題。少し毒入り。

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君に読む物語

thenotebook.jpg

「想い出が少しずつ、きみからこぼれてゆく。だから、きみが思い出すまで、ぼくは読む―。」
お楽しみ度 ☆☆☆

 全米で予想外のスマッシュ・ヒットを記録し、原作本もアメリカでベストセラーを記録したというこの作品、宣伝でも"純愛"、"泣き"が前面に押し出されていて、泣ける映画は好きだけど、う~ん、微妙だなと思ったものの、ジーナ・ローランズとライアン・ゴズリングが出演しているという点に魅力を感じで鑑賞した。

 療養施設に入所している痴呆症の老婦人。若かりし頃の記憶だけでなく、現在の記憶も定かでない、そんな彼女の元を毎日のように訪れてある"物語"を読み聞かせる老紳士。その物語を読み聞かせることで彼女の記憶が取り戻せると信じながら。ストーリーは、そんな彼らの関係と、彼が読む物語、1940年のアメリカで、キラキラと煌くような恋愛を送った若い男女、ノアとアリーの関係が交互に描かれていく。このノアとアリーの物語は、身分違いの恋、別れ、戦争に送り出されて身も心もボロボロになるノア、アリーの新しい恋、そしてふたりの再会。そこから再び燃え上がる恋愛感情。それに加えてアリーのノアとの恋愛を猛反対するアリーの母親の隠された過去の恋愛が挿入的に語られ、彼女の真の想いも明らかになる。一方、現在の老紳士と老婦人の物語は、ひたすら老婦人の心の再生を信じる老紳士の献身ぶりが抑えた描写で描かれる。共に愛する人を一途に想い続けるその気持ち、これがまさに王道的な語り口で語られる。

 しかし、このふたつの物語は、特段目新しいものではなく、定番的なメロドラマのようなもの。また、老紳士と老婦人の関係も、まったく意外性もなく、物語の序盤で想像はつくし、中盤で明らかにもなる。どうやら作り手も、あえてこの辺を隠そうとは思っていないようで、むしろ、物語の肝はこのふたりの関係が明らかになる後半部分からなのではないだろうか。つまり、回想形式で語られるノアとアリーの物語が中心なのではなく、あくまでもこの作品の中心となるのは老紳士と老婦人の物語であるのだ。実際、ここから"泣きモード"に突入して行ったように思えるし、実際に場内啜り泣きが聞こえてきたようにも思える。何故、老紳士がひたすらこの物語を読み聞かせるのか、確率は低いけれど、起こりうる奇跡をひたすら信じる彼の気持ち、一時は正気を取り戻し、その思い出にひたる老婦人、しかし、それも長くは続かず、また元の状態に戻ってしまう哀しさ。そしてラストに明らかになるこの物語の書き手とふたりが迎える最期。この状態でふたりが天に召されるというのは、ふたりが望んだことなのか、だとすると、ふたりにとってこれは幸せなことなのだろう。

 きっと、普通だったらここで号泣モードに入ってもおかしくないし、作品自体、兎にも角にも非常にそつのない、堅実な構成は、2時間退屈せずに安心して観ることができる類のものだと思う。老婦人を演じるジーナ・ローランズの、ハッと正気を取り戻したときの表情とまた元の状態に戻ったときの表情の使い分けも素晴らしいし、老紳士を演じるジェームズ・ガーナーの、彼女のことを一途に思う献身的な愛情をささげる抑制の効いた演技もお見事だ。

 しかし、あたしにはこのそつのなさとあまりにも小奇麗にまとまりすぎている無味無臭のクセのなさがかえって仇になり、まるっきり誰にも感情移入することなく冷めた目で観てしまい、感動などという言葉とは程遠く、涙の一滴もこぼれないどころか、まったくウルウルすることもなく終わってしまった。観終わっても、何の感慨も湧かなかったもんね。客観的に見て作品の質自体は低くないとは思うけど、やっぱりこういう万人受けするような作品は、あたしの体質には合わないんだろうな~。あと、婚約指輪をしたままノアと行為に及ぶアリーの気持ちがあたしには理解できないし、ロンの気持ちを結局は踏みにじる格好になってしまうアリーの選択にも、これを"純愛"とは呼びたくないぞ、と。

2005/02/12 @渋谷シネパレス
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  1. 2005/07/16(土) 19:45:35|
  2. movies(か)
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カンフーハッスル

kunghu.jpg

「ありえねー。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆★

 チャウ・シンチー監督の前作「少林サッカー」が、サッカーとカンフーの組み合わせという、それこそ"ありえない"理屈抜きに楽しめる超娯楽大作で、そのあまりのおバカ加減にお腹がよじれるほど笑い転げ、笑いすぎてお腹が痛くなった(これ実話)。

 で、チャウ・シンチー監督の新作であるこの作品も、前作以上に"ありえない"モード全開の、カンフーの達人たちの妙技が楽しめる、これまたCGとワイヤー・アクションが全編に漲るチャウ・シンチー監督のカンフーに対する愛情溢れる超娯楽大作に仕上がっている。

 で、まず驚かされたのが、主演のチャウ・シンチー演じるサムが、善人ではなく、悪を目指して上海を仕切っている斧頭会へ入りたいと願うチンピラだということ。彼がカンフーの達人ではないのね。しかも、怪しい本を売りつけられて、それでカンフーを学んでたり(笑)、決して強くないのが哀しい(苦笑)。唯一の特技っていうのが錠外しっていうのがなんともトホホ(笑)。あ、でも驚異の治癒力っていうのもあったな。その一方で、サムがいちゃもんを付けた豚小屋砦の住民が、市井の人に身をやつしたカンフーの達人だというのがまたスゴイ。それ以上にスゴイのがサムにパンチを食らわせた畑仕事に精を出すオバチャンだったりして(笑)。そうなんだよね~、この作品っておバカ全開というよりも、こうした小ネタで笑わせてくれるというのが小粋だったりする。

 確かにそういったおバカ加減、笑いを期待していったというのはあるんだけど、それ以上にカンフーの達人たちによるカンフーの妙技を思う存分味わえたおかげで、笑いを期待していったにもかかわらず、結果としてかなりの満足感を味わうことが出来た。要するに、笑いはこの作品のエッセンスに過ぎず、単なるギャグ映画というよりも、正統カンフー映画にギャグをまぶしてみましたって感じ。それにしてもこのカンフーの達人たちの技は、観てて惚れ惚れする。ほとんど「ドラゴンボール」の天下一武道会の世界だな、こりゃ(笑)。特に豚小屋砦の大家夫婦の太極拳に獅子の咆哮、彼らのキャラも相俟って、ガツンとくる。あと、最強のカンフーの達人にして精神を病んじゃった"笑う殺し屋"火雲邪神。この人もその風貌からは計り知れない恐るべし、って感じだもん。なんか、チャウ・シンチーが主役というよりも、これらのカンフーの達人たちが主役って感じの展開でした(しかも、彼らって、香港映画のスターな人たちなんだね)。

 とはいえ、チャウ・シンチーが主役だということになっているので、チンピラ・サムの活躍の場は最後に用意されてると思ったらそのとおりで、火雲邪神の一撃で全身の脈が開いて彼の潜在的な真の能力が開花するっていうのがこれまた可笑しい。彼の白の上着と黒のパンツのいでたちがなんとも凛々しくカッコいい。そして彼が最後に繰り出す如来神掌。痺れるね~。

 それともうひとつ、カンフーの妙技と併せてサムの幼少時の思い出。屋台のアイス売りの少女フォンとサムの関係。一見ストーリーの本筋とはかけ離れているようにも思えるけど、サムの幼少時の怪しい(笑)カンフーを学び始めた頃のエピソードと現在をリンクさせるということで、決して無駄なエピソードだったとは思わない。まあ、ラストのキャンディーの話は出来すぎという気もするけど(笑)。とはいえ、ラストのあのシーンに思わずホロリとなっている自分がいたりするのだけれど(笑)。

 兎にも角にもまずはアクション。ここまで徹底的にやってくれると爽快、そして痛快。こうした一大エンターテインメント作品は、やはり四の五の理屈をこねてないで素直に楽しむのが正解だと、心から思ったのでした。

2005/01/08 @新宿ミラノ座
  1. 2005/07/16(土) 17:32:18|
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mista-bone

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