Once Bitten,Never Shy~観ないで死ねるか!~

劇場鑑賞作品について言いたい放題。少し毒入り。

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大統領の理髪師

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「ぼくのお父さんは床屋さん。でも、どこにでもいるただの床屋じゃないよ。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆☆

 2004年の東京国際映画祭において、最優秀監督賞及び観客賞を受賞したこの作品、1960年代の圧政下の韓国において時代の波に翻弄される市井の人々の姿という、それまであまり語られることのなかった題材を、当時の社会情勢を挟み込みながら彼らに対するとても温かな視線でもって、"家族の絆"というテーマで笑いと涙を交えて描く素晴らしい作品だ。これが初監督作品だとは思えないイム・チャンサン監督の見事な手腕にまずは拍手を送りたい。

 この物語の主役となるのが韓国大統領官邸のある町孝子洞に住む床屋のハンモ。ホントにどこにでもいる小市民で、日々の生活に追われ、時の政府を信じて疑わない。だから不正選挙(あの投票所でのやり取りに思わずクスリとしてしまう)に加担しても、それを特別に悪いことだとは思わないし(開票時(あの風景は日本の選挙でもおなじみ。どこの国でも同じようなものなのかな)に対立候補の投票用紙を袋詰めにして山中に埋めてしまうなんて、なんかありえる話だよなー)、妻ミンジャの妊娠時に政府の"四捨五入"原則を当てはめて出産を説き伏せてみたりする。

 そんな彼が不正選挙後に起こった学生運動(あのとき産気づいたミンジャを病院に連れて行こうとリヤカーに乗せて走る中、負傷した学生たちに医者と間違われて右往左往する姿がなんとも滑稽だ)を切っ掛けとした"4・19革命"、そしてそれに続く"5・16軍事クーデター"を経て成立した新しい大統領政府において大統領の理髪師として登用され(そこでは"ソン室長"としっかり役職名まで付けられて呼ばれるというのが韓国流なのだろうか)、そこから大統領官邸での小さなミスも許されないのではないかという緊張感溢れる日々、そして側近同士の確執に巻き込まれたりもするという日常を送ることになる。そのハンモの姿もまたユーモラスだ。

 さらには、北朝鮮のゲリラ兵の韓国への侵入(このシーンは「シルミド」を思い出した。ちょうど時代的には同じ頃なんだね)をきっかけとした"マルクス病"の流行と、たまたまハンモのひとり息子のナガンが"マルクス病"の症状といわれる下痢を発症してしまい、ナガンが連行されて拷問(というか、このシーンがまた可笑しいんだな)にかけられ、連行されたナガンの身を案じるハンモの姿、大統領側近の確執のおかげで無事に解放されたものの、足が動かなくなったナガンを何とか治そうと奔走するハンモの姿、ここにはひたすら家族のことを思い、行動する等身大の父親としての姿がしっかりと描かれている。

 そして、前述した大統領側近に確執によって発生した大統領暗殺事件(事件の前に大統領がハンモに語る「ソン室長はいつまでも謙虚で変わらない。」という意味合いの言葉が非常に印象的であると同時に、ハンモ本人は素なんだろうけど、その姿が反目を繰り返すふたりの側近と対照的な気がする)、悲しみにくれながら、以前ナガンの足を治してもらおうと訪れた施術師のところで聞いた言葉を頼りに、その大統領の肖像画を削り取るハンモの姿。今まで世話になった大統領の肖像画に傷をつけるという罪悪感とナガンのことを一途に思うその気持ち、彼の心中を察するに、なんとも切ない気持ちがこみ上げてくる(とはいえ、危うく見つかりそうになって、慌ててその削り取ったものをケースに入れて飲み込み、それを排泄しようと踏ん張る姿がまた可笑しいんだけど)。

 そうした紆余曲折を経ながら新しい大統領の下でも理髪師として招かれるハンモであるが、彼が新しい大統領の頭を眺めながら思わず漏らしてしまったセリフ(これは絶対に本音だ!)に思わず拍手(笑)。なんて言うんだろ、初めてお上に楯突いた彼の心意気が感じられると言ったら大袈裟だろうか。ボコボコにされて簀巻きにされようが、なんか彼が仕えていた大統領への想いも同時に感じられたような気がしたんだよね。そして、ナガンとふたりで自転車にまたがるラストシーン。今までは笑いが先に立っていたのに、ここにきてどういうわけか悲しくもないのに涙がドッと溢れてきた。

 それにしても、ハンモを演じるソン・ガンホの圧倒的な存在感はどうだ。ノンポリの、どこにでもいる小市民なんだけど、大統領の理髪師として登用され、様々な物事を見聞きし、彼の中でも何かが変わったかのようなイメージ、それと同時に家族のことを一途に想い、必死に守ろうとするその気持ちの強さ、まさに彼にうってつけの役柄だと思う。そして彼の妻ミンジャを演じるムン・ソリも、出番は決して多くはないものの、肝っ玉母さんぶりが非常に好印象だ。優れた俳優と優れた監督、優れた脚本に彩られた見事な傑作。イム・チャンサン監督の次回作が非常に楽しみだ。惜しむらくは、この時代の韓国の歴史をもっと知っていたら、より一層楽しめたのだろうな~ということ。モチロン、そういった知識がなくともお釣りがくるくらい十二分に楽しめたのだけど。

2005/02/21 @Bunkamura ル・シネマ
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  1. 2005/07/16(土) 20:50:21|
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ダブリン上等!

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「まわり道を全力疾走!」
お楽しみ度 ☆☆☆★

 "「アモーレス・ペロス」よりエキサイティング、「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」より熱く"、な~んてキャッチ・コピーを見たら、そりゃ期待しちゃうでしょ、お客さん(謎)。てなわけで、やっぱこういう作品はイギリス(アイルランド)に限るよな~、アメリカが舞台じゃこの雰囲気は出せないでしょ、という雰囲気そのものを楽しむという点では大いに満足感を得ることができた。キャストもコリン・ファレル以外にも「28日後...」のキリアン・マーフィや、「家族のかたち」のシャーリー・ヘンダーソン、「ネバーランド」のケリー・マクドナルド(彼女、思い切りタイプなんですけど(笑))など、ある意味豪華なメンツを楽しめる。

 コリン・ファレル演じるチンピラ、レイフが女性店員の顔面にパンチを食らわすオープニングから「これは、なんかあるぞ!」という期待感バッチリ。レイフの他、デイドラの気持ちを試すために別れ話を切り出し、ホントに破局してしまうジョン、イクことができなくなってるモテないオスカー、バスの横転事故を起こし、クビになる運転手ミック、男性不信に陥り(胸の上にウ○コって・・・)自分の殻に閉じこもるデイドラの妹サリー、ジョンと別れて中年の銀行支店長とすぐにくっついてしまうデイドラ、支店長の妻、レイフを執拗に追い掛け回す刑事ジェリー、これらの登場人物それぞれのエピソードが交互に語られ、そしてみんながみんな煮詰まったところでレイフ、ミック、ジョンが仕組んだ銀行強盗を切っ掛けとして、一気に終結へと雪崩れ込んでいく様は、確かに「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」を思い起こさせる部分もある。しかも、レイフたちなんて見事なほどに小悪党だし、他のキャラクターも一癖も二癖もあるというよりも人生の底辺を行っていて、そこから這い出そうともがいているような、そんな連中が多い。ああ~、この辺がイギリス(アイルランド)的なんだよな~と、思わずニヤリとさせられる。しかも、ミックの解雇の切っ掛けを作った投石小僧が最後の最後でまた・・・という点など、「こうでなくっちゃ!」と思わずにはいられない。

 ただ、複数のエピソードが絡み合いながら収斂していくという手法は大好きなだけに楽しめたのは間違いないものの、引き合いに出されている2作品と比べるとどうかということになると、「アモーレス・ペロス」の方がディープでヘヴィだし、疾走感という点では「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」には敵わない。なんかね~、すごくライトで、もっと突き抜けた勢いとキレが欲しいような、そんな感じ。そういったものが感じられればもっとパンチの効いた作品になったと思うので、惜しいんだよね~。

 ちなみに、この作品の主演はコリン・ファレルという扱いになっているけど、この作品の原題が"interMission"、そして、エンディングでミックがジョンに語る「Intermission is over.」というセリフにもあるように、結局この物語はジョンとデイドラの関係修復までの"休憩時間"だったということで、主演はジョンを演じたキリアン・マーフィだと思うんだけどいかがでしょうか?それと、"ブラウンソース・ティー"って、ホントに美味いのか?一度試してみたいぞ(笑)。

2005/02/19 @シブヤ・シネマ・ソサエティ
  1. 2005/07/16(土) 20:40:08|
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父と暮せば

chichitokuraseba.jpg

「おとったん、ありがとありました。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆☆

 あたしの父は広島出身。広島に原爆が投下された1945年8月6日は疎開していて難を逃れたと記憶しているが、小学生の頃、夏休みには家族で父の実家の広島を度々訪れ、それと同時に原爆ドーム及び原爆資料館も訪れ、そこで目にした資料の数々に、子供心に非常なショックを受け、それは今でも忘れられない思い出になっている。おそらく、戦争というものに対するあたしのスタンスはきっと、その当時の体験も基になっているのだろう。

 そんな"ヒロシマ"への原爆投下から3年後の夏を描いたこの作品、元は井上ひさしの舞台で上演されていたものであり、映画でもほぼ宮沢りえと原田芳雄のふたり芝居(あとは浅野忠信がほんの少し出てくるだけ)の体を取り入れ、舞台の色を色濃く残した雰囲気で展開していく。

 この作品を語るのに、多くの言葉は要らない。原爆で父や親しい友人たちが亡くなってしまったのに、自分だけが生き残ってしまったことに後ろめたさを感じ、好きな人が出来たのにその気持ちすら押し殺して生きようとする宮沢りえ演じる美津江と、そんな彼女を応援しようと現れる竹造の幽霊。竹造自身が語っているように、この竹造の存在は、「幸せになりたい。」と願う美津江の心を投影したもの。だけど、自分だけが幸せになってはいけない、どうして自分が助かってしまったのだろうと葛藤する美津江。そんな彼女の心があまりにも哀しい。この戦争は、目に見える爪痕だけではなく、本来ならば助かって喜ぶべき人たちの心にまで、生きていることに対する負い目、後ろめたさという、簡単には拭い去ることの出来ない途方もない大きな心の傷まで残してしまったのだ。竹造が「一寸法師」のパフォーマンスで語る言葉、美津江が自身の心情を吐露する言葉に、胸を塞がれ、引き裂かれるような痛みを覚えて涙が止まらなかった。そう、感動とかそういう安っぽいものではなく、ここにあるのは痛み。そして、派手なギミックのような視覚でそれを伝えるのではなく、元が舞台だからというのもあるのだろうけど、広島弁で訥々と語られる言葉、その言葉が胸に響き伝わり、痛みと哀しみが伝わってくる。そこに、お涙頂戴的な偽善的な感情は微塵も感じられず、黒木和雄監督の真摯な想いが伝わってくるのだ。

 また、主演のふたり、美津江を演じる宮沢りえの、派手さはないが、後ろめたさと負い目を抱えて生きてきた揺れ動く感情表現に、彼女もいい"女優"になっていたのだとの思いを強くし、そして、竹造を演じる原田芳雄の、娘を想う父親をコミカルな雰囲気も交えながら貫禄十分に演じ、観る者を一気にその作品世界の中に引きずり込むかのような存在感も文句なしに素晴らしい。

 来年でこの出来事が起きてから60年。当時を知る人はどんどん減っていって、その記憶も風化していく危惧があるのだけど、声高に"戦争反対!"と唱えなくても、こういった形で後世へ伝え、遺していくというのもひとつの方法なんじゃないかと思う。同じ過ちが繰り返されないためにも。これを綺麗ごとと笑う人は、笑わば笑え。手遅れになってからでは遅いのだ。

  1. 2005/07/15(金) 21:48:31|
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mista-bone

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