Once Bitten,Never Shy~観ないで死ねるか!~

劇場鑑賞作品について言いたい放題。少し毒入り。

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ネバーランド

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「ピーター、そこは夢が叶うな場所なんだ。信じれば、必ず行ける。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆☆

 先ごろ公式の続編の執筆がアナウンスされた「ピーター・パン」。その「ピーター・パン」の原作者である劇作家ジェームズ・バリが、「ピーター・パン」を生み出すまでのその誕生の物語を、派手さはない抑えた演出で、しかし、観る者の心に深く染み渡るタッチで描きあげた素晴らしい作品だ。

 舞台は1903年のロンドン。釣竿をもって公演に出かけるバリの姿にニヤリとし、その公園でのシルヴィアとその4人の子供たちとの出会いのシーンもなんとも微笑ましい。ベンチの下にもぐりこんで、「ぼくは捕らえられているの。」という言葉を否定することもなく、一緒にその世界に入り込むバリ。その心の持ちようが嬉しい。そして、彼らのキラキラ煌くような微笑ましい交流(公園での凧揚げのシーンでは、微笑ましさを覚えると同時に、何故だかウルウルきてしまった)。間違いなくかけがえのないもの。そこに挿入される犬が熊になってのダンスシーンや海賊船の甲板のシーン、西部劇シーンなどのイマジネーションの世界。こうやってイマジネーションの翼を広げることで、世界は広がっていくのだと思わずにはいられない。それと同時に4人の子供のうち、父親を失うという辛い現実に打ちのめされ、唯一心を閉ざしていたシルヴィアの三男のピーターも次第に心を開いていく様が、なんとも自然に描かれていく。

 世間では"ピーター・パン症候群"なる言葉もあるように、時にはマイナスのイメージも持つ"ピーター・パン"という言葉ではあるが、作者であるジェームズ・バリもそういう"大人になりきれない大人"なのかというと、この作品で描かれるジェームズ・バリの人間像は、あくまでも"少年のような心"を持った"大人"として描かれている(この二者は、似て非なるものであると思っている。前者あくまでも精神的に"子供"であるのに対し、後者はあくまでも"大人"であるということが前提である)。それと同時に、この作品では、決して"大人"になることを否定していない。それは、バリ自身が自らの母親との思い出を語るシーンでの「このとき僕は大人になった。」というセリフや、シルヴィアの健康を案じる彼女の息子に対し、バリが「君はこの瞬間に大人になったんだよ。」と語りかけるシーン(これは名シーンだと思う)からも明らかである。つまり、仮に"大人"になったとしても、前述したとおり、イマジネーションの翼を広げることで、世界は広がっていくのだということをあらためて伝えようとしているのではないか、そんな気がする。

 もっとも、バリのキャラクターという点では、未亡人であるシルヴィアとの交流がいらぬ誤解を生み、妻との仲がギクシャクしたりして、仮にバリとシルヴィアとの間にそのような感情がなくとも、やっぱり世間的に見れば妙な疑いを招くのは必然だろうし、その辺に対する認識のなさという意味で、彼の常識は、やや世間の常識とはかけ離れたものであるというのも間違いないところではあるが。その一方で、病魔に侵されたシルヴィア(この際、シルヴィアを演じるケイト・ウィンスレットが、健康的過ぎて病人には見えない、というツッコミは置いておく(笑))がなんともないように振舞っていても、「そうやって病気ではないふりをしても、現実は変えられないんだよ。」と言うセリフに、ある種の諦念のような分別をも持ち合わせているようにも思える。

 このバリのセリフに象徴されるように、確かに想像力には現実を変える力はないのかもしれない。しかし、その現実に影響を与えることはできるのではないか。それが病床に伏せるシルヴィアのために彼女の自宅で「ピーター・パン」を出張上演したときの、小さくなる灯りを消さないために、妖精を信じるみんなの力(拍手)が必要なんだとピーター・パン(余談ながら、このピーター・パンを演じていたのが、「ダブリン上等!」に出演していたケリー・マクドナルドだったということを、「ダブリン上等!」を観て知った。このときの彼女が思い切りあたしのタイプであったものの、この作品を観たときにはそんなことは露知らず、こんなことならもっとジックリとピーター・パンにも注目しておけば良かったと後悔してみたりして(笑))が呼びかけたときに、真っ先に拍手をしたのが、現実世界の象徴とも言うべきシルヴィアの母親だったということが見事に証明しているのではないか。「ピーター・パン」が舞台で初演されたシーン(孤児院の子供たちを招待するというのが粋だ。しかも、この子供たちを大人たちの間に座らせることにより、子どもたちの喜びが大人たちにも伝染して共鳴するというアイディアがこれまたお見事)で、既にかなり涙腺が緩んでいたのだけど、このシーンと同時(そしてそれと同時に現れるネバーランド!)に涙がとめどなく溢れてきた。

 そして、シルヴィアを失い、その葬儀で思わずバリを罵ってしまったピーターとバリがベンチで語り合うラストシーン、これがまた泣かせる。だけど、信じることで、きっとピーターはシルヴィアといつでも会える、そう思えてならない。

2005/01/29 @渋谷シネフロント
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  1. 2005/07/16(土) 17:34:10|
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mista-bone

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