Once Bitten,Never Shy~観ないで死ねるか!~

劇場鑑賞作品について言いたい放題。少し毒入り。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

エターナル・サンシャイン

eternal.sunshine.jpg

「"さよなら"の代わりに記憶を消した―」
お楽しみ度 ☆☆☆★

 辛い恋愛の記憶を消してしまえるとしたら―誰しも一度はそのようなことを考えるのかもしれない。この作品は、その気持ちを上手い具合に描き、その記憶を消そうとする過程で辛いことだけではなく、楽しかったことも消されてしまうことに気付き、辛いことも楽しいこともひとつの思い出として昇華させることが大切なのかもと思わせられる。
 
 また、そこは脚本がチャーリー・カウフマンだからして、一筋縄ではいかないのが常。「マルコビッチの穴」よろしく、自らの脳内を駆け巡り、その過去の記憶と対峙してみたり、失われる記憶を崩壊する家として描いてみたり、この辺の描き方も非常にユニーク。

 さらには、仮に記憶を失ったとしても、また同じ人を好きになってしまう人間の感情(脳の作り?)の不思議(ここの単純に纏めるのではないエンディングの構図が上手いと思う)。ここで噛み合っていなかったオープニングと中盤のエピソードとをリンクさせる構成が絶妙だ。

 脚本、物語の構成、登場するキャラクターの人物描写、どれをとっても上手いしそれは賞賛に値する。しかし、最初に書いたようなことがあるにしても、どうもあたしにはこの"忘れる"というキーワードがどうしても受け容れられず、心から楽しむことができなかったのもまた事実だ。

 確かに忘れることができたらそれはそれで楽なのかもしれない。だけど、恋愛にしろ何にしろ、それが辛い思い出だとしても、それが自分に辿った道、いわば"生きた証"。それを簡単に忘れて、リセットして生きるなんて、あたしには絶対にできない。じゃあ、今まで自分が生きてきたことは何だったんだ?ってなると思うんだよね~。そうではなく、そういった過去にしっかりと向き合い、それを受け止めた上で前へと進んでいきたいと思っている。

 ま、そりゃ確かに自然に忘れてしまうこともあるし、すべてを忘れないようにしたら、脳の許容量を超えてパンクしてしまうかもしれないし、思い出って、ともすると自分の都合のいいように美化されてしまうという傾向もあるけど、それでもやっぱり自ら進んで忘れようとすることなんてできない。そういう意味で、やっぱり"忘却"というキーワードは切ないなと。

 ちなみに、クレメンタインを演じるケイト・ウィンスレットの溌剌とした魅力が全開なのが嬉しかった反面、やっぱりブサイクで性格も悪いってサイアクだよな~とキルスティン"雑巾顔"ダンストを観て思ったのでした(爆)。

2005/03/26 @新宿ピカデリー1
スポンサーサイト
  1. 2005/07/18(月) 21:27:54|
  2. movies(あ)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

ロング・エンゲージメント

longengagement.jpg

「予感を信じる」
お楽しみ度 ☆☆☆☆

 「アメリ」に続くジャン・ピエール・ジュネ監督&オドレイ・トトゥのコンビによるこの作品。原作本があるとはいえ、一体どのような仕上がりになっているのか非常に興味があった。と思っているのはあたしを含めた一部の人間だけで、日本では興行的にはどうも失敗だったようだ。

 とはいえ、ジュネ監督の描くミステリー・タッチのラブストーリー。非常に質の高い作品に仕上がっているのではなかろうか。第一次大戦の最中、戦死したと知らされた婚約者の生存を信じ、彼の足跡を追うヒロイン。その信じることの強さと健気な姿、そして彼女を囲む叔父、叔母といった周囲の人々(郵便屋のオヤジと叔父さんとのやり取りが面白い。この辺のユニークなキャラクターの人物描写が上手いとあらためて実感)の善意。この辺の描き方が絶妙だ。

 さらにはマチルドの婚約者マネクだけでなく、同じように戦死したと言われた男たちの辿る道とその影にいる女たち。そりゃフランス人の名前を覚えるのは難しいさ(苦笑)。だけど、それぞれのキャラクターの特徴を一度頭の中に叩き込めば、混乱することもなくストーリーを追っていくことができた。

 そして、凄惨な戦闘シーンすら美しいと感じてしまう息を呑むような映像美(戦場が一面のお花畑に変わっていたシーンも圧巻だ)。この映像を通して、ジュネ監督は逆説的に戦争の悲惨さを伝えようとしたのだろうか。

 ラストはこうなるであろうことは容易に予想が付いたものの、それでもこうして迎えるハッピーエンドに思わずホロリ(「足痛むの?」というセリフにはそりゃ泣けるさ)。やっぱり信じることって大切なんだなと。

2005/03/21 @渋谷ピカデリー
  1. 2005/07/18(月) 20:56:01|
  2. movies(や~わ)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ミリオンダラー・ベイビー

milliondollar.jpg

「愛に、打たれる。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆

 ご存知2004年度アカデミー受賞作品。とはいへ、アカデミーを取ろうが取るまいが、そんなことは作品の価値には何の影響も与えないと考えているあたしのような人間にはどうでもいいこと。この作品に示されているであろう"絆"の物語に興味を惹かれた。

 一方は娘と絶縁状態にある初老のトレーナー、もう一方は家族の愛に見放された女性ボクサー。このふたりが夢を追い求め、試合を通じてあたかも擬似親子関係を築くかのようにお互いの魂が共鳴していく様、そこに挿入されるそれぞれの家族との関係のエピソード。その対照的な様子が非常に印象的だし、それぞれが心に抱えるそれぞれの"想い"の表現も上手い。また、物語のひとつのスパイスともなっているフランキーとエディの関係も、多くを語らない男同士の関係の妙を上手い具合に表現しているといっていいだろう。

 さらには、"アメリカン・ドリーム"を根底から否定し(実は、ハリウッド作品で、ここが一番衝撃的なのかも)、"衝撃的"といってもいい、なんともやるせない、救いようのない結末を導き出すまでの手法も含めた脚本、構成の妙、演じる俳優陣、どれをとっても一点の曇りもない、非の打ち所のない、まさに完璧、100点満点な作品と言えるのだろう。

 しかし、スゴイ作品だとは認めつつも、仮に完璧な作品であっても、それが心に響くかどうかというのはまったく別の話。その一分の隙もない構成に、物語の内側に入り込むことができず、何の感情移入もできずにあたかも外側から傍観者的に眺めるだけの自分を発見して、この感覚は、イーストウッド監督の前作「ミスティック・リバー」を観たときに感じた感覚とまったく同じだということを思い出した。なんていうんだろう、凄くよそよそしいというか、作り手の目線が受け手の目線よりも高いというか、完璧な作品を目の前に提示されて、「どうだ~!」と言われても、「ああそうですか。」としか言いようがないじゃんね・・・。結局イーストウッド監督作品とは相性が悪いってことなのかな。

 それともうひとつ、この作品が"人生の縮図"、"人生を見つめた作品"と評されているのも耳にした記憶があるんだけど、先に「海を飛ぶ夢」を観てしまった以上、「ケ、何言ってんだか。」と思わざるを得ない。「海を飛ぶ夢」の方が、よっぽど生と死を真摯に見つめ、生きることと死ぬことについて考えさせられる作品だと思うけどね(すべての登場人物へ感情移入もできたし。やはり、キャラクターに感情移入ができるかどうかというのは、映画を観る上での非常に大きな鍵となることを実感している)。モチロン、扱っているテーマはまったく同じではないけど、こちらの作品が与えたインパクトがあまりにも大きく、その後にこうした作品を観ても、やはりその衝撃の大きさは拭うことができないということで。ただ、前述したとおり、仮に「海を飛ぶ夢」を観ていなかったとしても、評価は変わらなかっただろうけどね。

 ちなみに、受け取りを拒否されて、娘から送り返されてくる手紙を、どうしてフランキーは送った日付順に並べることをしないで、無造作に箱に放り込むんだろう。彼の心の荒み具合を示したかったのかどうか分からないけど、娘を想うのなら、あそこは並べて仕舞うものじゃないかな~。

2005/06/05 @新宿ピカデリー1
  1. 2005/07/18(月) 17:15:14|
  2. movies(ま)
  3. | トラックバック:2
  4. | コメント:3

バットマン ビギンズ

batman.jpg

その男は「闇」から生まれた―。
お楽しみ度 ☆☆☆☆☆

 "バットマン"と聞いてプリンスを思い出す人は、間違いなく30代後半以上。という話はさておき(笑)、過去のバットマン・シリーズとは完全に切り離された、まったく新しい作品として構築されたバットマンの誕生秘話。まさか、ここまでダークに、しかもエンターテインメントしている作品だとは予想だにせず、いい意味で予想を裏切られ、大いに楽しむことができた。

 まず、全体がダークな色合いで彩られているという点に大満足。単純なヒーローものというよりも、元来が"ダークな"色合いの作品を好む私故、ここもポイント高し。やはり、イギリス人監督がメガホンを取ったということがいい方向に作用しているのだろうか。クリストファー・ノーラン監督については、前作「インソムニア」を観て、次作が勝負、と思っていただけに、その次作がこうしたアメコミのシリーズものという点に正直驚き、一抹の不安を感じていたのもまた事実。ところがどっこい今でのシリーズの流れをまったく断ち切り、こうした作品に仕上げた彼の力量は、やはり只者ではない。アメリカ人監督、スタッフだったら、同じような作品を撮っても、色合いは異なっていたように思えるな~。

 また、私がこうした大作を鑑賞する上での大きなポイントは、理屈抜きでエンターテインメントしているかどうかということがまず最初にある。そういう意味で、ヒーローが縦横無尽に飛び、駆け巡り、アクションを決めるという点でまずはクリアー。しかも、このブルース・ウェイン、別に何らかの超人的な能力を持ち合わせているのではなく(「KILL BILL Vol.2」でのビルのアメコミについて語るセリフを思い出す)、まさに生身の人間。そんな彼が、様々なアイテムを駆使してヒーローとして活躍するというのがまた痛快だ。
 
 その上でストーリーとキャラクターに入れ込めるかどうかということがその次にくるのだけど、己の中にある"恐れ"の気持ちと"心の闇"を直視し、それを昇華させることで折り合いをつけ、"ダーク・ヒーロー"として立ち上がるというその展開と、その境地に至るまでのスルース・ウェインの心の葛藤が鮮やかに描き出されるという点で、もうこの作品の成功は保証されたといっていいだろう。その点では「スパイダーマン2」でのどうしようもない中途半端振りとはエライ違いだと思う。

 また、個々のキャラクターも魅力溢れるキャラが揃っている。ブルースを決して見放さず、常に彼を陰に日向に支え、時には彼の無軌道振りを諌める執事のアルフレッド(ユーモラスな雰囲気を湛えている姿が好き。マイケル・ケインが思い切りハマっている)、警察の唯一の良心、ゴードン刑事(ブルースの両親が殺害されたときに優しく少年ブルースを慰める姿も印象的だ。でも、ゲイリー・オールドマンの善人役って初めて観たかも(笑)。とはいえ、違和感がないところが凄いんだよな~)、ゴッサムシティに安寧を取り戻そうとひとりで奔走するレイチェル(最近はトム・クルーズとの結婚報道で話題になっているけど、ケイティ・ホームズの実力は、「エイプリルの七面鳥」で実証済み)、その狂気を湛えた瞳にゾクリとするDr.クレイン(キリアン・マーフィーって、こっち方面に方向転換したのか?確かに"二枚目"で売っていくにはキツイけどさ~、ハマりすぎててコワいんですけど(笑))などなど。

 その他にも、リーアム・ニーソン、モーガン・フリーマン、トム・ウィルキンソン、渡辺謙(出演はわずかながら存在感はたっぷり。でも、"影の同盟"の真の支配者がデュカードだってことは、ぢつは"捨てキャラ"の一種だったりして(汗))などなど、ここまで豪華な俳優陣が脇を固めるというのはスゴイことだ。
 
 そして、今回の一件が片付いた後、次なる敵として"ジョーカー"を示唆して終わるエンディングもグー。この後のバットマンの活躍に思いを馳せてしまう。

 ちなみに、作品の本筋とはまったく無関係ながら、この作品の中で一番感嘆したのがクリスチャン・ベールの肉体。確か「マシニスト」を撮影したのはこの作品の前だったと思うんだけど、あの作品であそこまでガリガリに痩せておいて、こちらではしっかりと筋骨隆々な身体に戻しているという、その役者根性、これが一番スゴイかも(笑)。

2005/07/17 @新宿ピカデリー1
  1. 2005/07/18(月) 14:43:53|
  2. movies(は)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

0:34

034.jpg

「始発まで生きていたい―。」
お楽しみ度 ☆☆☆★

 イギリスで大ヒットした地下鉄を舞台としたホラー作品という触れ込みのこの作品。確かに"終電後の地下鉄に潜む恐怖"、という着眼点はナイスだと思う。普段何気なく利用している地下鉄に、こんな恐怖が潜んでいるとしたら、そりゃ真夜中の地下鉄に乗るの怖くなる人もいるかもな~。そういう意味では、一瞬ひとりでエレベーターに乗るのが怖いと思った「the EYE」みたいなもんか。

 とはいえ、「the EYE」のような"泣けるホラー"とは趣が180度異なり(ってゆうか、比較すること自体間違ってるわな。ただ単に乗るのが怖いっていう共通項だけだもん(汗))、この作品は"地下鉄がお化け屋敷と化す"、みたいな感じで、入り組んだ地下鉄の構内を逃げ惑うヒロイン、次々と何者かに餌食にされていく地下鉄の運転士、警備員、地下鉄構内で暮らすホームレスのカップル、はたしてそこに潜むのは何か?な~んて感じでお約束的な手法を踏襲しながらのハラハラドキドキの展開に息を呑む。

 で、一体どのような落としどころを見つけるのかと思ったら、ストーリーが進むにつれ、スプラッター度満点のグチョグチョ作品に様変わり(笑)。

 そりゃ"地下鉄がお化け屋敷と化す"といっても、怨念とかの本物のお化けが出るとは思わなかったけどさ~、人智の及ばない"何か"があるのかしらん、って思ってたのが、地下鉄構内が殺人鬼の巣窟となってました、ってオチには一瞬ズッコケ。ま、結局は人間が一番怖いってことかしら(苦笑)。

 そういうツッコミはあるにしても、その殺人鬼とフランカ・ポテンテ演じるケイトの追いかけっこは、一瞬ズッコケたものの、最後まで緊張感が持続して見応え十分。モチロン、この手の作品のお約束として、ヒロインは最後に助かるというのは分かってはいるのだけど、そういう野暮な理屈はこの際置いておいて、楽しむことができたかな♪

 そして、窮地を脱したケイトが迎える朝、あたかも終電に乗り遅れて、所持金もなくホームで一晩過ごしたかの様な彼女に対する、始発電車に乗り込む乗客の態度に思わずニヤリ。またいつもと同じ日常の地下鉄の光景が繰り返されるのかな。でも、"ホントは怖い地下鉄の夜"。

2005/07/16 @アミューズCQN
  1. 2005/07/17(日) 21:27:57|
  2. movies(英数)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

サイドウェイ

sideway.jpg

「カリフォルニア、ワインロード。人生が熟成していく贅沢な寄り道・・・」
お楽しみ度 ☆☆☆☆

 2004年度のアカデミー賞で脚色賞を受賞したこの作品、巷では"ワイン云々"という宣伝のされ方をしていることもあり、ワインの薀蓄映画か?ワイン通でなければ楽しめなかったりするのか?などと、要らぬ心配をして鑑賞に二の足を踏んでいる人もいるかもしれない。しかし、そんな心配はまったく無用で、ワインどころかアルコールをまったく飲らないあたしですら十二分に楽しめた、ほろ苦さとコミカルさとが同居する、大人のドラマに仕上がっていると思う。確かにワインをキャラクターたちの人生になぞらえて語られるシーンはあるものの、それはあくまでもストーリー進行上の"小道具"に過ぎないと思うし、ハッキリ言ってワインの薀蓄など、あたしは聴き飛ばしてました(爆)。

 物語は、離婚の痛手から未だに立ち直れない小説家"志望"の英語教師マイルスと、彼の親友で落ち目の俳優、そして結婚を一週間後に控えたジャックとが、ジャックの独身最後の旅行とばかりにカリフォルニアのワイナリーへの旅に出て、その旅の過程で自分を見つめ直すというもの。一言で言うと中年男ふたりのロードムービーという、非常にシンプルで地味な雰囲気もあるが、これがまた味わい深いんだな。この雰囲気は若者の旅では絶対に出せないと思うぞ。

 それにしてもポール・ジアマッティ演じるマイルスの情けないダメ男キャラは群を抜く。ルックスも今イチ、仕事も今イチ、オマケに旅の途中で立ち寄った実家の母親のヘソクリをくすねてみたり、小説家志望として出版社に原稿を持ち込むも、その夢は叶えられそうにない。それ故完全に自信を失い、当然そんな自分のことが大嫌いでウダウダし、元妻には未練たっぷり。でも、ことワインの話になると止まらないという、「なんかこういう奴っているかも。」と思わずにはいられない。そんな彼と対照的なジャックとの旅の中でもそういったモヤモヤした気持ちを抱えたままだから、ジャックのペースに巻き込まれ、思わず癇癪を起こして何かにつけいい加減で楽天的なジャックと衝突するのは必然。

 だけど、昔からの知り合いのマヤ(彼女を演じるヴァージニア・マドセンって、マイケル・マドセンの妹だったのね!知らなかった~)と再会し、当然ワイン談義に花が咲くというのもあるのだけれど(レストランで、マイルス、ジャック、マヤ、そしてステファニーの4人が食事をしながらワイワイと語り合うシーンが大好き)、彼女と過ごす日々の中で自身を見つめ直し、振り返り、諸々のものと折り合いをつけ、少しは自信を取り戻せるかな~と思ったら、そこにも紆余曲折が入り込んだりして、「人生って、やっぱりそう上手くはいかないんだよな~。」と、マイルスが大事に取っておいたワインをファミレスかなんかで開けてしまってヤケ酒をあおるシーンになんともいえないほろ苦さを覚えたりして。だけど、そこは大人のふたりですから、マイルスがマヤに渡しておいた彼の小説に対する、彼女が留守電に残したメッセージに、なんだか温かいものを感じたりもする。そんなマイルスがひとつの決心をして迎えるラストシーンのあのカットは、ささやかな未来へと続く希望の光が感じられ、とても印象深いものとなっている。モチロン、エンディングに至るまでのストーリー展開、キャラクターの人物描写、感情表現などが優れていなければ、取ってつけたようなラストになってしまうわけで、そうした意味からも、確かに地味かもしれないけれど、全体的に落ち着いたトーンの中で繰り広げられる人間ドラマにジワジワと胸に染み込む味わい深さというものが存在しているが故のあのラストなんだろうな~。あのようなエンディングを迎えるならば、タイトルどおり、真っ直ぐ走るばかりではない、こうした人生の"寄り道"も決してムダではないということか。

 ちなみに、"コミカルさ"という点では、ジャックがレストランのウェイトレスの家でお楽しみのところを彼女の旦那が帰宅して、全裸でモーテルに逃げ帰ってくる件や、彼に頼み込まれてウェイトレスの家にジャックの財布を取り戻すために侵入するマイルス、それを発見した旦那がこれまた全裸で追いかけてくるシーン、ジャックが結婚を一週間後に控えているということを隠してステファニーと付き合っていたことがバレて、彼女にボコボコにされたことを隠すために自動車事故を装って車を思い切りぶつけようとするシーンなどが印象的。それと、そのシーンでのサンドラ・オー演じるステファニーのキレ具合もサイコーだ。って、ここは笑うところではないのか?(笑)

2005/03/19 @@VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ
  1. 2005/07/16(土) 21:10:01|
  2. movies(さ)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ビヨンド the シー

beyondthesea.jpg

「伝説のショーの幕が上がる。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆

 敬愛するケヴィン・スペイシーが制作・監督・脚本・主演を務め、構想から完成に漕ぎ着けるまでに10年の歳月を要したというこの作品。リューマチ熱の影響で心臓を患い、15歳までしか生きられないと診断されたものの、音楽との出会いによって道が開け、若くしてアメリカのショービジネスの世界で成功し、トップスターの座にのぼりつめたものの、37歳という若さで早世した"伝説のエンターテイナー"といわれるボビー・ダーリンの短い駆け足のような人生を、ケヴィン・スペイシーが渾身の演技と見事な歌と踊りで魅了してくれる。まさにケヴィン・スペイシーの独壇場、いい意味での"俺様映画"だ(笑)。

 まず、あたしはボビー・ダーリンについてはまったくといっていいほど知らない。もしかしたら彼の歌う楽曲を何かの折に耳にしたことはあるのかもしれない。だけど、仮にそうだとしても、積極的に云々という類のものではないだろう。だから、ボビーに対する思い入れといったものはまったくないし、ここに描かれている彼の人生が、多少の脚色も交えて描かれていたとしても(この辺は、自身の伝記映画を撮影するボビーと、少年時代のボビーとして登場する少年が上手い具合に釈明しているといってもいい)、特段それをあげつらってどうこう言うつもりもない。また、ボビー自身の顔も知らなかったので、ケヴィン演じるボビーが本人と似てるのかどうか、ということについても何も語ることはできないし、語るつもりも毛頭ない(もっとも、あの自虐的(笑)ともいえなくはない"ヅラネタ"は、ボビー自身も"ヅラ"だったのかな~などと、思わずにはいられないんですけど(笑)あそこになんともいえない哀愁が漂ってたりして(笑))。

 この作品において最も重要なポイントは、完成までに10年という歳月を要したケヴィン・スペイシー自身の、ボビー・ダーリンに対する思い入れをこちら側が汲み取ることができるかどうか、ということと、何年もトレーニングを積んで、吹き替えなしで歌をこなしたというケヴィンの歌唱、この2点に絞られるといっても過言ではないだろう。

 そういう意味では、まさに完璧な作品。ここにはケヴィン・スペイシーという一流の俳優の、一流のエンターテイナー、ボビー・ダーリンに対する愛情とリスペクトが満ち溢れているし、ケヴィン自身の歌唱も、これまたお見事!としか言いようがないほど堂に入っている。劇中で歌われるボビー・ダーリンの数々のナンバーに、こちらもスイングしてしまうほどの説得力がある。オマケに、ケヴィンのダンスも観られて言うことなし。彼の歌とダンスを堪能するだけでも観る価値は十分にある作品だ。ケヴィン自身も一級のエンターテイナーだと思うよ。あたし自身も音楽との出会いによってかなり救われた部分があるので、やっぱり音楽の持つ効用というのは多大なものがあると、ここでも実感。

 モチロン、ドラマ部分にしても、少年時代のボビーと今のボビーが対話しながら進行していく部分などはファンタジックな感もするが、エンターテイナーとしての成功の階段を駆け上がっていき、この世の春を満喫する光の側面と、やがて時代遅れになり、いつしか人々から忘れ去られた存在になり、身も心もボロボロになる影の部分。だけど、そんな彼を支えてくれた元妻サンドラの「観客は見た目で聴く。」の言葉に一念発起して蝋燭の最後の灯火を燃やそうとばかりにエンターテインメントのステージにカムバックするその姿のコントラストが絶妙だし、彼の出生にまつわる秘密が明らかになりショックを受けるも、最後にはそれを受け容れてステージから語るその姿に胸が熱くなったのもまた事実だ。

 こうやって、長い歳月をかけた努力の結晶として、自分の大好きなアーティストについての作品を思い入れたっぷりに撮ることができたケヴィン・スペイシーは幸せだと思うし、そんな彼の心意気にも拍手。

 追記 ボビー・ダーリンの元妻サンドラ・ディーが、この作品が日本で公開される直前に腎臓病による合併症で亡くなっていたということを鑑賞後に知りました。享年62歳。心より彼女のご冥福をお祈りします。

2005/03/05 @シネリーブル池袋
  1. 2005/07/16(土) 21:06:50|
  2. movies(は)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

Uボート 最後の決断

uboat.jpg

「愛国心か、生還か―」
お楽しみ度 ☆☆☆☆

 先週鑑賞した「セルラー」に引き続いての"メイシー祭り"ではありませんが(笑)、ウィリアム・H・メイシーが主役を張っているこの作品、「セルラー」での彼の活躍ぶりにほだされたという側面もあり(笑)、しかもこちらも3週間の期間限定公開という、なにやら似たようなシチュエーション。巷では"潜水艦映画にハズレなし"という格言もあるらしく、それならばと、公開終了間近に駆け込みで行ってきました。

 時は第二次世界大戦最中の大西洋。ドイツ軍と連合軍との戦闘が激化している中、アメリカ軍の潜水艦ソードフィッシュが、ドイツ軍の潜水艦Uボートとの激闘の末、艦に魚雷が命中、生き残ったアメリカ軍の兵士たちはそのまま捕らえられ、ドイツ軍の捕虜としてUボートに。当然お互いへの憎しみを前面に出して対立する両軍。しかし、Uボート自体も戦闘による損傷で、長い航海はできない(すなわち、ドイツへ戻ることはできない)、さらにはアメリカ軍が持ち込んだ伝染病が艦内に蔓延し、ドイツ軍も兵士の2/3を失うことに。そんな極限下、生き延びるためにUボート艦長ヨナスの下したひとつの決断により、今までの米独呉越同舟状態から、お互いに協力し合ってこの窮地を脱出しようと奮闘する様、そしてそこから生まれる連帯感、友情にも似た相互理解という男たちのヒューマンドラマを、愛国心、家族への想いといった感情も交えながら緊張感溢れる語り口で描く秀作だ。彼らのひとつになった想いによって導かれるラストは、本当の戦時下ではきっとありえないだろうと思われるものの、それでもこの極限状態を乗り切った男たちの有り様に、そんな野暮なツッコミは無用と思わずにはいられない、これまた拾いモノの1本だ。結局戦争って、人間同士の憎しみ合いというよりも、間に国家というものが横たわっているからこそ起こるのかもしれないなどと思ってしまった。

 また、この作品では、必ずや生きて祖国に戻るという家族への想いを秘めながら、刻々と変わる状況に冷静に対処していくソードフィッシュのチーフ(艦長でも副艦長でもない"第三の男")ネイトや、Uボートの艦長ヨナスの意を受けて、部下たちをなだめに回る副艦長クレマー(当初はヨナスの指示に心の内では疑問を感じつつも、ヨナス亡き後次第に変わっていく様子がいい。Uボートを脱出するときの「ここでは私が上位階級なんだから、君から先に出たまえ。」というセリフに痺れた)、といった、"トップ"ではない男たちの姿がふんだんに描かれるとともに、戦禍で娘を失う哀しみを胸の内に抱えたUボートの艦長ヨナスの最後の決断を下すに当たっての彼の心情も意気に感じるものがあり、登場人物の人間描写が非常に上手くできている、そんな印象を受ける。

 それしても、ネイトを演じたウィリアム・H・メイシーの、このカッコよさはどうだ。極限状態の中、自分を見失うことなく冷静に、的確な指示を出すベテランのクールさ。「セルラー」に続き、完全に今までの彼のイメージを覆すかのような静かなる熱演。今年の主演男優候補に躍り出た感じだ。それと、Uボート艦長ヨナスを演じるティル・シュヴァイガー。そういや「ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア」や「レボルーション6」に出てた彼だったんだということを後から知ったのだけど、部下からは"裏切り者"呼ばわりされながらも、実は一番現実的な手法で生き延びようとする、ナチスドイツでは間違いなく道に外れた生き方なのかもしれないけれど、娘を失った哀しみがその基になっているのだろうけど、人を殺すよりも生かすことの強さを知り、部下のことを思うその気持ちは間違いなくクールだ。

 低予算ながらも緊張感溢れる展開と、優れた人間描写とドラマ。「セルラー」同様、こういった作品が3週間の期間限定公開だなんてなんとも勿体無い!

2005/03/05 @日比谷スカラ座2
  1. 2005/07/16(土) 21:03:45|
  2. movies(英数)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

セルラー

cellular.jpg

「見知らぬ部屋。見知らぬ男たち。最後の望みは、電話の向こうの見知らぬ人。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆

 現代社会にケータイって、もうなくてはならないツールになっていると思うのだけど、この作品は、そのケータイを上手い具合に小道具として機能させた、見応えのあるサスペンス映画に仕上がっていると思う。

 ある日突然自宅に乱入してきた男たちに理由も分からずに誘拐され、監禁されたジェシカ。部屋にある電話も叩き壊されたものの、配線を何とか繋いでようやく繋がった先はお気楽な若者ライアンのケータイ。必死に助けを求める見ず知らずのジェシカの様子に尋常ではないものを察したライアンが、ジェシカの窮地を救おうと奔走する様。そこから次々と明らかになる事件の真相まで、一気に雪崩れ込むようなノンストップのハラハラドキドキ感がたまらない、なんとも秀逸な脚本をまずは賞賛したい。

 確かにジェシカの誘拐の切っ掛けとなった出来事、事件の真相などのネタは決して目新しいものではないし、どちらかといえば手垢のついたものだとは思う。しかし、この作品は、そういった使い古されたネタであっても、現代のツールであるケータイを通じて偶然事件に巻き込まれたお互い知らない者同士の、ケータイが切れたらジ・エンドというハラハラ感を楽しむ(?)作品だと思うので、そういった細かいことはまったくといっていいほど気にならず、逆にケータイを小道具として、よくもまあこういった使い古されたネタをここまで面白い作品に仕上げたな~という感の方が強い。

 ケータイでの通話だから、ケータイをそのまま警察署に持っていって警察官と会話することも可能だし、その一方で、捜査課のある4階では電波が悪くてケータイを持っていけなかったり、電池切れになりそうな危機感あり(ケータイ・ショップに押し入って、しっかり金を払って充電器を購入するとこなんてサイコー)、取引場所のビーチで、「取引相手はケータイを持っている奴だ。」な~んて敵役が指示しても、みんながみんなケータイを手に会話してるシーンなんかもクスリとさせられるし、クライマックスの格闘シーンでも、やっぱりケータイはマナーモードにしておかなきゃダメだよな~、なんて思ったり(笑)、ラストでビデオテープを破壊されて、どうなることかと思ったら、ナルホド、ああいう機能でしっかりカバーしていたのね、とか、エンドクレジットに至るまでケータイが上手い具合に小道具として機能している見せ方がとても上手いと思う。

 それから、前述したケータイ・ショップやビーチのシーンとか、リッキー・マーティン・ネタ、奪った車をレッカー移動先でもう一度パクるとか、警察署でライアンの話を聞いて、なにやらきな臭いものを感じて独自に捜査を進めるムーニーの顔のパックのシーンと彼が撃たれた後の「皮膚が壊疽を起こしているみたいだぞ。」っていうシーンとのリンクなどの小ネタでクスリとさせられるシーンが盛り込まれているのもいい感じだ。

 そして、ジェシカを演じるキム・ベイシンガーは、監禁先で、彼女の身にどのようなことが起こるのかあえて知らずに撮影に臨んだらしく、その恐怖感の表現はまさに"迫真の演技"という表現がピッタリだし(彼女が生物の教師であるという設定も、あるシーンの見事な伏線になっているんだよね~)、もしかしたら初のストレートな悪役かもしれないジェイソン・ステイサムのタフネスぶりも貫禄十分。さらには、今まではトホホな役回りが多いというイメージを抱いていたムーニーを演じるウィリアム・H・メイシーが、ここまで大活躍の渋い役どころを演じていたという点、実はこれが一番の収穫であったかもしれない(笑)、まさに拾いモノの1本でした。これが2週間の期間限定公開だなんて勿体無さ過ぎるぞ!

 でもさ~、繋がった電話の向こうで「誘拐されたの。助けて!」って言っても、そして、仮にそれが真に迫ったものであったしても、いわゆる"振り込め詐欺"が社会問題化している今の日本では、信用してもらえなくて成り立たないような題材だよな~などと、思わずスクリーンに向かって突っ込んでみたりして(笑)。

2005/02/26 @渋谷シネフロント
  1. 2005/07/16(土) 20:56:30|
  2. movies(さ)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

大統領の理髪師

president.jpg

「ぼくのお父さんは床屋さん。でも、どこにでもいるただの床屋じゃないよ。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆☆

 2004年の東京国際映画祭において、最優秀監督賞及び観客賞を受賞したこの作品、1960年代の圧政下の韓国において時代の波に翻弄される市井の人々の姿という、それまであまり語られることのなかった題材を、当時の社会情勢を挟み込みながら彼らに対するとても温かな視線でもって、"家族の絆"というテーマで笑いと涙を交えて描く素晴らしい作品だ。これが初監督作品だとは思えないイム・チャンサン監督の見事な手腕にまずは拍手を送りたい。

 この物語の主役となるのが韓国大統領官邸のある町孝子洞に住む床屋のハンモ。ホントにどこにでもいる小市民で、日々の生活に追われ、時の政府を信じて疑わない。だから不正選挙(あの投票所でのやり取りに思わずクスリとしてしまう)に加担しても、それを特別に悪いことだとは思わないし(開票時(あの風景は日本の選挙でもおなじみ。どこの国でも同じようなものなのかな)に対立候補の投票用紙を袋詰めにして山中に埋めてしまうなんて、なんかありえる話だよなー)、妻ミンジャの妊娠時に政府の"四捨五入"原則を当てはめて出産を説き伏せてみたりする。

 そんな彼が不正選挙後に起こった学生運動(あのとき産気づいたミンジャを病院に連れて行こうとリヤカーに乗せて走る中、負傷した学生たちに医者と間違われて右往左往する姿がなんとも滑稽だ)を切っ掛けとした"4・19革命"、そしてそれに続く"5・16軍事クーデター"を経て成立した新しい大統領政府において大統領の理髪師として登用され(そこでは"ソン室長"としっかり役職名まで付けられて呼ばれるというのが韓国流なのだろうか)、そこから大統領官邸での小さなミスも許されないのではないかという緊張感溢れる日々、そして側近同士の確執に巻き込まれたりもするという日常を送ることになる。そのハンモの姿もまたユーモラスだ。

 さらには、北朝鮮のゲリラ兵の韓国への侵入(このシーンは「シルミド」を思い出した。ちょうど時代的には同じ頃なんだね)をきっかけとした"マルクス病"の流行と、たまたまハンモのひとり息子のナガンが"マルクス病"の症状といわれる下痢を発症してしまい、ナガンが連行されて拷問(というか、このシーンがまた可笑しいんだな)にかけられ、連行されたナガンの身を案じるハンモの姿、大統領側近の確執のおかげで無事に解放されたものの、足が動かなくなったナガンを何とか治そうと奔走するハンモの姿、ここにはひたすら家族のことを思い、行動する等身大の父親としての姿がしっかりと描かれている。

 そして、前述した大統領側近に確執によって発生した大統領暗殺事件(事件の前に大統領がハンモに語る「ソン室長はいつまでも謙虚で変わらない。」という意味合いの言葉が非常に印象的であると同時に、ハンモ本人は素なんだろうけど、その姿が反目を繰り返すふたりの側近と対照的な気がする)、悲しみにくれながら、以前ナガンの足を治してもらおうと訪れた施術師のところで聞いた言葉を頼りに、その大統領の肖像画を削り取るハンモの姿。今まで世話になった大統領の肖像画に傷をつけるという罪悪感とナガンのことを一途に思うその気持ち、彼の心中を察するに、なんとも切ない気持ちがこみ上げてくる(とはいえ、危うく見つかりそうになって、慌ててその削り取ったものをケースに入れて飲み込み、それを排泄しようと踏ん張る姿がまた可笑しいんだけど)。

 そうした紆余曲折を経ながら新しい大統領の下でも理髪師として招かれるハンモであるが、彼が新しい大統領の頭を眺めながら思わず漏らしてしまったセリフ(これは絶対に本音だ!)に思わず拍手(笑)。なんて言うんだろ、初めてお上に楯突いた彼の心意気が感じられると言ったら大袈裟だろうか。ボコボコにされて簀巻きにされようが、なんか彼が仕えていた大統領への想いも同時に感じられたような気がしたんだよね。そして、ナガンとふたりで自転車にまたがるラストシーン。今までは笑いが先に立っていたのに、ここにきてどういうわけか悲しくもないのに涙がドッと溢れてきた。

 それにしても、ハンモを演じるソン・ガンホの圧倒的な存在感はどうだ。ノンポリの、どこにでもいる小市民なんだけど、大統領の理髪師として登用され、様々な物事を見聞きし、彼の中でも何かが変わったかのようなイメージ、それと同時に家族のことを一途に想い、必死に守ろうとするその気持ちの強さ、まさに彼にうってつけの役柄だと思う。そして彼の妻ミンジャを演じるムン・ソリも、出番は決して多くはないものの、肝っ玉母さんぶりが非常に好印象だ。優れた俳優と優れた監督、優れた脚本に彩られた見事な傑作。イム・チャンサン監督の次回作が非常に楽しみだ。惜しむらくは、この時代の韓国の歴史をもっと知っていたら、より一層楽しめたのだろうな~ということ。モチロン、そういった知識がなくともお釣りがくるくらい十二分に楽しめたのだけど。

2005/02/21 @Bunkamura ル・シネマ
  1. 2005/07/16(土) 20:50:21|
  2. movies(た)
  3. | トラックバック:2
  4. | コメント:0

マシニスト

machinist.jpg

「すでに1年間365日眠っていない。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆

 ブラッド・アンダーソン監督といえば、前作「セッション9」でも背筋がゾクリとするような心理サスペンスを撮っていたが、今回も、平凡な機械工が不眠症に陥り、その原因を探っていくうちに不可思議な事件に巻き込まれ、最後に辿り着く結末までの顛末を、緊張感溢れる語り口で描いていると言っていいだろう。

 オープニングでトレバーが誰かの死体をカーペットでグルグル巻きにして街外れの場所に放り投げる、しかし、そこで彼が示す驚愕の表情、"Who Are You"という言葉から、時間軸が過去に巻き戻され、不眠症で悩むトレバーが巻き込まれる事件が描かれ、終盤でオープニングのシーンにリンクした後、そこからまた時間が未来へと流れ、そして結末が示される。

 この描き方が、同僚たちが誰も認めようとしない"アイバン"なる新入りの同僚の存在、そして冷蔵庫に貼られた不気味なメモ、何度となく描かれる分かれ道、赤いスポーツカーなどの小道具と、この事件を誰かの陰謀だと疑い、徐々にパニック状態に陥り正気を失っていくトレバーを演じるクリスチャン・ベイルの痩せこけた表情と相俟って、最後まで緊張感を保ったまま進んでいく構成力は上手いと思う。

 もっとも、この事件の真相という点で言うと、(ネタバレ)→赤いスポーツカーの持ち主がトレバーだった、ということが判明したところで「?」となったのだが、ルート66で少年を轢き逃げしたトレバーが、その良心の呵責に耐えかね、自身の記憶を封印したまま不眠症に陥り、現実と幻覚の狭間で苦しんでいるというもの。すなわち、"アイバン"なる人物はトレバー自身が作り出した幻想(マリアやマリアの息子もそう。トレバーはマリアの息子を轢き逃げしたということ)。自らの罪を受け入れ、自首することでしかアイバンからは解放されない、←(ここまで)という、決して目新しいものではないというのもまた事実。とはいえ、常々公言しているとおり、使い古されたネタであっても、着地さえしっかりと決めてくれれば別に問題があるとは思わないあたしのような人間にとっては、目新しくないオチだったからどうだとか言うつもりはないし、「なるほど、そうきたのね。」という感じで満足感を得られたというのが実際のところだ(正直なところ、自業自得じゃん、という気もしなくはないが(苦笑))。ただ、あの結末で、トレバーはようやく眠りにつくことができるんだろうな~と、些かホッとしたりして(笑)。

 ところで、公開前から話題になっていたクリスチャン・ベイルの激痩せぶり。一説によると身体の1/3に当たる約30キロの減量をしてこの役に挑んだらしいが、1/3が約30キロというと、大体撮影時の体重が60キロ弱位か(ストーリー上は55キロ弱まで減っていたみたいだけど)。そんなに一気に減量したら普通ヤバイでしょ。彼の身長がどれ位あるのか知らないが、確かにもの凄い不健康極まりない痩せ細り具合は、役者根性と言えるのだろうけど、あたし自身があそこまでガリガリではないけれど、180cmの60キロという、ハンドル・ネームからも分かるようにかなりの細身の体型なだけに、世間の皆様が言うほどインパクトは感じなかった、などと言ったらやっぱり怒られるかな(笑)。

2005/02/21 @シネクイント
  1. 2005/07/16(土) 20:46:00|
  2. movies(ま)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ダブリン上等!

intermission.jpg

「まわり道を全力疾走!」
お楽しみ度 ☆☆☆★

 "「アモーレス・ペロス」よりエキサイティング、「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」より熱く"、な~んてキャッチ・コピーを見たら、そりゃ期待しちゃうでしょ、お客さん(謎)。てなわけで、やっぱこういう作品はイギリス(アイルランド)に限るよな~、アメリカが舞台じゃこの雰囲気は出せないでしょ、という雰囲気そのものを楽しむという点では大いに満足感を得ることができた。キャストもコリン・ファレル以外にも「28日後...」のキリアン・マーフィや、「家族のかたち」のシャーリー・ヘンダーソン、「ネバーランド」のケリー・マクドナルド(彼女、思い切りタイプなんですけど(笑))など、ある意味豪華なメンツを楽しめる。

 コリン・ファレル演じるチンピラ、レイフが女性店員の顔面にパンチを食らわすオープニングから「これは、なんかあるぞ!」という期待感バッチリ。レイフの他、デイドラの気持ちを試すために別れ話を切り出し、ホントに破局してしまうジョン、イクことができなくなってるモテないオスカー、バスの横転事故を起こし、クビになる運転手ミック、男性不信に陥り(胸の上にウ○コって・・・)自分の殻に閉じこもるデイドラの妹サリー、ジョンと別れて中年の銀行支店長とすぐにくっついてしまうデイドラ、支店長の妻、レイフを執拗に追い掛け回す刑事ジェリー、これらの登場人物それぞれのエピソードが交互に語られ、そしてみんながみんな煮詰まったところでレイフ、ミック、ジョンが仕組んだ銀行強盗を切っ掛けとして、一気に終結へと雪崩れ込んでいく様は、確かに「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」を思い起こさせる部分もある。しかも、レイフたちなんて見事なほどに小悪党だし、他のキャラクターも一癖も二癖もあるというよりも人生の底辺を行っていて、そこから這い出そうともがいているような、そんな連中が多い。ああ~、この辺がイギリス(アイルランド)的なんだよな~と、思わずニヤリとさせられる。しかも、ミックの解雇の切っ掛けを作った投石小僧が最後の最後でまた・・・という点など、「こうでなくっちゃ!」と思わずにはいられない。

 ただ、複数のエピソードが絡み合いながら収斂していくという手法は大好きなだけに楽しめたのは間違いないものの、引き合いに出されている2作品と比べるとどうかということになると、「アモーレス・ペロス」の方がディープでヘヴィだし、疾走感という点では「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」には敵わない。なんかね~、すごくライトで、もっと突き抜けた勢いとキレが欲しいような、そんな感じ。そういったものが感じられればもっとパンチの効いた作品になったと思うので、惜しいんだよね~。

 ちなみに、この作品の主演はコリン・ファレルという扱いになっているけど、この作品の原題が"interMission"、そして、エンディングでミックがジョンに語る「Intermission is over.」というセリフにもあるように、結局この物語はジョンとデイドラの関係修復までの"休憩時間"だったということで、主演はジョンを演じたキリアン・マーフィだと思うんだけどいかがでしょうか?それと、"ブラウンソース・ティー"って、ホントに美味いのか?一度試してみたいぞ(笑)。

2005/02/19 @シブヤ・シネマ・ソサエティ
  1. 2005/07/16(土) 20:40:08|
  2. movies(た)
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:0

君に読む物語

thenotebook.jpg

「想い出が少しずつ、きみからこぼれてゆく。だから、きみが思い出すまで、ぼくは読む―。」
お楽しみ度 ☆☆☆

 全米で予想外のスマッシュ・ヒットを記録し、原作本もアメリカでベストセラーを記録したというこの作品、宣伝でも"純愛"、"泣き"が前面に押し出されていて、泣ける映画は好きだけど、う~ん、微妙だなと思ったものの、ジーナ・ローランズとライアン・ゴズリングが出演しているという点に魅力を感じで鑑賞した。

 療養施設に入所している痴呆症の老婦人。若かりし頃の記憶だけでなく、現在の記憶も定かでない、そんな彼女の元を毎日のように訪れてある"物語"を読み聞かせる老紳士。その物語を読み聞かせることで彼女の記憶が取り戻せると信じながら。ストーリーは、そんな彼らの関係と、彼が読む物語、1940年のアメリカで、キラキラと煌くような恋愛を送った若い男女、ノアとアリーの関係が交互に描かれていく。このノアとアリーの物語は、身分違いの恋、別れ、戦争に送り出されて身も心もボロボロになるノア、アリーの新しい恋、そしてふたりの再会。そこから再び燃え上がる恋愛感情。それに加えてアリーのノアとの恋愛を猛反対するアリーの母親の隠された過去の恋愛が挿入的に語られ、彼女の真の想いも明らかになる。一方、現在の老紳士と老婦人の物語は、ひたすら老婦人の心の再生を信じる老紳士の献身ぶりが抑えた描写で描かれる。共に愛する人を一途に想い続けるその気持ち、これがまさに王道的な語り口で語られる。

 しかし、このふたつの物語は、特段目新しいものではなく、定番的なメロドラマのようなもの。また、老紳士と老婦人の関係も、まったく意外性もなく、物語の序盤で想像はつくし、中盤で明らかにもなる。どうやら作り手も、あえてこの辺を隠そうとは思っていないようで、むしろ、物語の肝はこのふたりの関係が明らかになる後半部分からなのではないだろうか。つまり、回想形式で語られるノアとアリーの物語が中心なのではなく、あくまでもこの作品の中心となるのは老紳士と老婦人の物語であるのだ。実際、ここから"泣きモード"に突入して行ったように思えるし、実際に場内啜り泣きが聞こえてきたようにも思える。何故、老紳士がひたすらこの物語を読み聞かせるのか、確率は低いけれど、起こりうる奇跡をひたすら信じる彼の気持ち、一時は正気を取り戻し、その思い出にひたる老婦人、しかし、それも長くは続かず、また元の状態に戻ってしまう哀しさ。そしてラストに明らかになるこの物語の書き手とふたりが迎える最期。この状態でふたりが天に召されるというのは、ふたりが望んだことなのか、だとすると、ふたりにとってこれは幸せなことなのだろう。

 きっと、普通だったらここで号泣モードに入ってもおかしくないし、作品自体、兎にも角にも非常にそつのない、堅実な構成は、2時間退屈せずに安心して観ることができる類のものだと思う。老婦人を演じるジーナ・ローランズの、ハッと正気を取り戻したときの表情とまた元の状態に戻ったときの表情の使い分けも素晴らしいし、老紳士を演じるジェームズ・ガーナーの、彼女のことを一途に思う献身的な愛情をささげる抑制の効いた演技もお見事だ。

 しかし、あたしにはこのそつのなさとあまりにも小奇麗にまとまりすぎている無味無臭のクセのなさがかえって仇になり、まるっきり誰にも感情移入することなく冷めた目で観てしまい、感動などという言葉とは程遠く、涙の一滴もこぼれないどころか、まったくウルウルすることもなく終わってしまった。観終わっても、何の感慨も湧かなかったもんね。客観的に見て作品の質自体は低くないとは思うけど、やっぱりこういう万人受けするような作品は、あたしの体質には合わないんだろうな~。あと、婚約指輪をしたままノアと行為に及ぶアリーの気持ちがあたしには理解できないし、ロンの気持ちを結局は踏みにじる格好になってしまうアリーの選択にも、これを"純愛"とは呼びたくないぞ、と。

2005/02/12 @渋谷シネパレス
  1. 2005/07/16(土) 19:45:35|
  2. movies(か)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

復讐者に憐れみを

mr.vengeance.jpg

「その衝撃に言葉を失う―」
お楽しみ度 ☆☆☆☆★

 2002年の東京国際映画祭で上映されたものの、その内容のせいか、結局お蔵入りになったかと思われたが、ようやく日の目を見ることになった、「オールド・ボーイ」を間に挟み、現在撮影中の最新作と合わせてパク・チャヌク監督が描く"復讐三部作"の第一部とされるこの作品、確かに暗澹たる気持ちになるその重苦しさ、痛み、哀しみ、苦しみ、そして衝撃と、ラストの目を覆うばかりの救いようのなさ、後味の悪さは「オールド・ボーイ」を凌ぐかもしれない。しかし、とことんまで堕ちていく人間の性を描いた、そこに秘められたとんでもないパワーに脳天をぶち抜かれたような気持ちになり、その感覚は決して嫌いではないというか、むしろ好きだ。もっとも、かなりエグイ残酷描写も含めて、これはかなり好き嫌いが分かれると思うし、間違いなく万人受けしない、観る者を選ぶ作品だと思う。

 話すことも聞くこともできない障害を持つリュ、長い間重い腎臓病を患い、腎臓移植を受けなければ危険な彼の姉のために、臓器密売組織を訪れた彼は、結局全財産を巻き上げられ、その上自身の腎臓まで奪われてしまい、なおかつ働いていた工場までリストラのあおりを受けてクビになってしまう。そんな彼に恋人のヨンミが持ちかける誘拐計画。苦労人の社長社長ドンジンの愛娘ユサンを誘拐し、身代金を奪おうという計画。しかし、誘拐したはいいけれど、彼女を誘拐したことを知ったリュの姉は自殺し、挙句の果てに不慮の事故でユサンを死なせてしまい(溺死したユサンの死に顔の半分を横から湖に浸かった形で映し出すカメラワークが新鮮だ)、そこから始まるドンジンとリュのまさに血で血を洗う復讐劇。

 そこにあるのは憎しみからは憎しみしか生まれないという、憎しみと、そして終わりなき復讐の連鎖。ドンジンはリュとヨンミを追い詰め(ラストシーンで映し出される小分けにしたゴミ袋に背筋が凍り、電気ショックで失禁してしまうヨンミの姿に震えてしまう)、リュは臓器密売組織を見つけ出し(金属バット片手に組織に乗り込むシーンでは、「オールド・ボーイ」の格闘シーンに繋がる一端を垣間見たような気がした。そして、ここで描かれる徹底的に血生臭い暴力描写には、妙な言い方かもしれないが、カタルシスさえ覚えてしまう)、そして最後はドンジンも、ヨンミが所属していた"革命的無政府主義者同盟"の手に落ちる(ここで最初のシーンでヨンミがプリントアウトした"死刑"の文字がリンクするのだ!)。最後には何も残らないという救いようのなさに言葉が出ない。しかし、どうせやるなら中途半端な結末ではなく、ここまで徹底してやってくれた方が、語弊があるかもしれないけれどかえって気持ちがいい。人間は、憎しみの感情が極限に達したとき、ここまで冷酷になれるものなのか。それが人間の本質なのか。そしてその憎しみの気持ちは最後には自分に返ってきて、結局はすべてを破壊し尽くし、何も残らないのだろうか。そういった意味では、とことんまで人間の心の闇の部分を徹底的に抉り出した作品であると言えるだろう。

 それにしても、10キロを超える減量をして、愛娘を失った哀しみから復讐の鬼に転化するドンジンを演じるソン・ガンホの、今までの彼のイメージとは打って変わったシャープで冷酷な表情と胸の内に抱えたどうしようもない哀しみの感情表現は、相変わらず貫禄と、そして存在感十分だし、話すことも聞くこともできないという難しい役柄を、表情と目の動きで演じきったリュを演じるシン・ハギュンの演技力も特筆すべきだと思う。そして、これまた従来のイメージとはガラリと変わった革命主義者のヨンミを演じるペ・ドゥナの違った一面(そして、彼女のファンにはたまらないであろうベッドシーンもあり(笑))も、新たな発見ということでお得感十分だ。でも、何度でも言うけど、決して万人受けしない観る人を選ぶ後味の悪い作品だから、その点を心して観るべきだろうな~(苦笑)。

2005/02/11 @新宿武蔵野館
  1. 2005/07/16(土) 17:57:28|
  2. movies(は)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ステップフォード・ワイフ

stepfordwife.jpg

「ステップフォードの妻たちには、秘密がある。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆

 男の立場から言って、もし自分の妻が気持ち悪いくらいに何でも自分に服従して、常に夫を立ててくれるような人間だったら。そして、生活する街がフレンドリーな住人に囲まれ、犯罪もない、それこそ理想郷のような街だったら・・・。な~んてことを考えてる人は、とりあへずこの作品を観てその雰囲気に浸り、そして今一度考えてみるのも悪くないかも(謎笑)。

 オリジナルは1975年に制作されたそうだが、未見なのでそれとの比較もできないし、原作本も残念ながら未読であるため、それとの比較もできない。しかし、オープニングでニコール・キッドマン演じるジョアンナが、TV制作の仕事をクビになり、ステップフォードの街に引っ越す切っ掛けを作るマイク・ホワイトの登場でいきなり掴みはOK。彼にはああいう"弱キャラ"が似合うかも(笑)。そんなこんなでジョアンナと夫のウォルターが引っ越してきたステップフォードの街、60年代を彷彿させる街並みとファッション、いつもにこやかな笑みを振り撒く夫人たちとメンズ・ソサエティなる団体でいつもなんかやってる夫たち。なんかいかにも作り物めいたその雰囲気にあたしもいかがわしさと違和感を感じたんだけど、その秘密を暴こうと躍起になるジョアンナとボビー、ロジャーの前に立ちはだかる"ステップフォードの壁"。そこに隠された秘密にミイラ取りがミイラに・・・。その顛末がコミカルに、そしてサスペンス・タッチでテンポよく描かれる。

 結局は(ネタバレ)→マイクが夫人たちの頭に埋め込んだマイクロチップで女性たちを操作していたのだけど、実はマイクもクレアが作ったロボット。失った夫と、クレア自らが理想とする夫婦生活を取り戻そうとして仕組んだこと。男が自分たちよりも優れた才能を持つ妻たちを支配下に置き、自らの理想郷を作り出そうとしていたはずが、実はそれは女が作り出した理想郷だったという皮肉。←(ここまで)なんともブラックな気がしなくもないが、前述したように、コミカルなタッチで描かれていくので、あまりヘヴィな印象は受けず、軽い感じで楽しめた。

 また、豪華俳優陣もそれぞれの個性を十分に発揮していて存在感バッチリ。ジョアンナを演じるニコール・キッドマンの"ステップフォード化"した後のゴージャスさをはじめとして、実はロボットでした、のマイクを演じるクリストファー・ウォーケン(ああいう役回りをやらせたら絶品。最後に彼の首がゴロリというのが妙に可笑しい)、サイコな感じがものの見事にハマっているクレアを演じるグレン・クローズ、最初のデレ~ンとしただらしなさ(彼女が着ていたDEEP PURPLEのTシャツ(しかもあのロゴは第5期と見た)に思わずニヤリ)と"ステップフォード化"したときのしゃんとした煌びやかさの変幻自在ぶりがお見事のボビーを演じるベット・ミドラーなど、ニコールの脇を固めるベテラン俳優たちにも拍手。でもさ~、男なんて、所詮は女の手のひらの上で転がされているくらいがちょうどいいと思うんだけどね(苦笑)。

2005/02/05 @VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ
  1. 2005/07/16(土) 17:35:56|
  2. movies(さ)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ライフ・イズ・コメディ!

lifeiscomedy.jpg

「人生は、最高にドラマチック」
お楽しみ度 ☆☆☆☆

 まず始めにお断りしておくが、あたしはピーター・セラーズの出演作を1本もまともに観たことがない(後から彼の出演作を調べてみたら、どうやらTV放映された「名探偵登場」は観た記憶がうっすらと残っているが、いずれにしてもまだ子供の頃だっただけに記憶は曖昧)。当然、「博士の異常な愛情」やコーエン兄弟の「レディ・キラーズ」のオリジナルである「マダムと泥棒」に彼が出演していることすら知らなかった(恥)。余談ながら、1986年発表のOZZY
OSBOURNEの"Shot In The Dark"の当時の邦題"暗闇でドッキリ"って、きっと"ピンク・パンサー"シリーズの第2作の邦題をそのまま流用したんだろうな~。原題もほぼ同じだし。当時はなんともトホホな邦題だと思ったが(苦笑)、実は日本のレコード会社の深遠なる計算が働いていたりして。って、そもそも「A SHOT IN THE DARK」をこのような邦題にしちゃった当時の日本の映画配給会社のセンスに問題があったというほうが正しいのか?(笑)

 それはさておき、そういうわけなので(どういうわけぢゃ?)、あたしはピーター・セラーズという役者に対しては何の思い入れもない。それ故、思い入れたっぷりのファンのような観方ではなく、もう少し距離を置いて、ひとりの役者の人生における光と影を、冷静な気持ちで観ることができると思っていた。

 で、結論。確かに冷静な気持ちで観ることができたのは間違いない。まずジェフリー・ラッシュの幾つもの顔を使い分けるその演技力に感嘆。モチロン、ピーター・セラーズ出演作を知らないから、実際の彼と比べてどうだとか、似てるとか似てないとか言うことはできない。だけど、子供のようで癇癪持ちで(あそこまで自分の子供にキレるか普通)繊細で、女性との恋の遍歴を重ね、役作りには妥協を許さないで常にその役になりきるかのような役者魂を持ち、その一方で、そうやって役になりきる、特定のイメージに縛られないということは、"空っぽの器"という言葉(非常に言い得て妙だ)に象徴されるように、アイデンティティーの喪失とも言うべき気持ちに苦しむかのようなその姿、世間で求められているイメージと自分が本当にやりたいことの狭間で悶々とする姿、さらには内なる孤独感を抱えて生きているようなその姿、ずっと企画を温めていた「チャンス」にかけるその気持ち(今までの諸々の資料を燃やすシーンが印象的だ)、本人を知らないにもかかわらず、本当にピーター・セラーズという人は、こういう人だったんじゃないかと思わずにはいられない。もしあたしがピーター・セラーズの大ファンで、彼に対して思い入れたっぷりであったならば、もしかしたら、思い切り感情移入をしていたかもしれない。それが良いことなのか悪いことなのかは置いておくにしても、なんだか勿体無いことをしたのかもしれないな~という思いも残る。とはいえ、普段映画を鑑賞する際にはそのキャラクターに感情移入できるかどうかということが、その映画を楽しむことができるかどうかのひとつのポイントになっているあたしとしては、感情移入というものがなかったにもかかわらず、決して退屈することなく最後まで楽しむことができた、興味深く観ることができた、という点に、この作品の質の高さが窺えると言っていいだろう。

 それともうひとつ。この作品のあたしのお目当てだった、ピーターの最初の妻アンを演じたエミリー・ワトソン。ピーターと別れてもなお、もうひとりの母親のように彼の側にいて、実は彼の精神的な支柱であったと思わせられる、決して出しゃばらないけどしっかりと観る者に印象付けるその存在感もお見事だ。ぢつは彼女については「パンチドランク・ラブ」でのまったく魅力の感じられない"単なるオバハン"(爆)キャラに、一気にテンション下がっていたのだけれど、名誉挽回とばかりに存在感を示してくれたのがとても嬉しかった。あの"オバハン"キャラ(しつこい)に、マジで一時はどうなることかと思ったもん(苦笑)。やっぱり上手い役者だということを再認識できたのも収穫のひとつであった。

2005/01/31 @VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ
  1. 2005/07/16(土) 17:34:16|
  2. movies(や~わ)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ネバーランド

neverland.jpg

「ピーター、そこは夢が叶うな場所なんだ。信じれば、必ず行ける。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆☆

 先ごろ公式の続編の執筆がアナウンスされた「ピーター・パン」。その「ピーター・パン」の原作者である劇作家ジェームズ・バリが、「ピーター・パン」を生み出すまでのその誕生の物語を、派手さはない抑えた演出で、しかし、観る者の心に深く染み渡るタッチで描きあげた素晴らしい作品だ。

 舞台は1903年のロンドン。釣竿をもって公演に出かけるバリの姿にニヤリとし、その公園でのシルヴィアとその4人の子供たちとの出会いのシーンもなんとも微笑ましい。ベンチの下にもぐりこんで、「ぼくは捕らえられているの。」という言葉を否定することもなく、一緒にその世界に入り込むバリ。その心の持ちようが嬉しい。そして、彼らのキラキラ煌くような微笑ましい交流(公園での凧揚げのシーンでは、微笑ましさを覚えると同時に、何故だかウルウルきてしまった)。間違いなくかけがえのないもの。そこに挿入される犬が熊になってのダンスシーンや海賊船の甲板のシーン、西部劇シーンなどのイマジネーションの世界。こうやってイマジネーションの翼を広げることで、世界は広がっていくのだと思わずにはいられない。それと同時に4人の子供のうち、父親を失うという辛い現実に打ちのめされ、唯一心を閉ざしていたシルヴィアの三男のピーターも次第に心を開いていく様が、なんとも自然に描かれていく。

 世間では"ピーター・パン症候群"なる言葉もあるように、時にはマイナスのイメージも持つ"ピーター・パン"という言葉ではあるが、作者であるジェームズ・バリもそういう"大人になりきれない大人"なのかというと、この作品で描かれるジェームズ・バリの人間像は、あくまでも"少年のような心"を持った"大人"として描かれている(この二者は、似て非なるものであると思っている。前者あくまでも精神的に"子供"であるのに対し、後者はあくまでも"大人"であるということが前提である)。それと同時に、この作品では、決して"大人"になることを否定していない。それは、バリ自身が自らの母親との思い出を語るシーンでの「このとき僕は大人になった。」というセリフや、シルヴィアの健康を案じる彼女の息子に対し、バリが「君はこの瞬間に大人になったんだよ。」と語りかけるシーン(これは名シーンだと思う)からも明らかである。つまり、仮に"大人"になったとしても、前述したとおり、イマジネーションの翼を広げることで、世界は広がっていくのだということをあらためて伝えようとしているのではないか、そんな気がする。

 もっとも、バリのキャラクターという点では、未亡人であるシルヴィアとの交流がいらぬ誤解を生み、妻との仲がギクシャクしたりして、仮にバリとシルヴィアとの間にそのような感情がなくとも、やっぱり世間的に見れば妙な疑いを招くのは必然だろうし、その辺に対する認識のなさという意味で、彼の常識は、やや世間の常識とはかけ離れたものであるというのも間違いないところではあるが。その一方で、病魔に侵されたシルヴィア(この際、シルヴィアを演じるケイト・ウィンスレットが、健康的過ぎて病人には見えない、というツッコミは置いておく(笑))がなんともないように振舞っていても、「そうやって病気ではないふりをしても、現実は変えられないんだよ。」と言うセリフに、ある種の諦念のような分別をも持ち合わせているようにも思える。

 このバリのセリフに象徴されるように、確かに想像力には現実を変える力はないのかもしれない。しかし、その現実に影響を与えることはできるのではないか。それが病床に伏せるシルヴィアのために彼女の自宅で「ピーター・パン」を出張上演したときの、小さくなる灯りを消さないために、妖精を信じるみんなの力(拍手)が必要なんだとピーター・パン(余談ながら、このピーター・パンを演じていたのが、「ダブリン上等!」に出演していたケリー・マクドナルドだったということを、「ダブリン上等!」を観て知った。このときの彼女が思い切りあたしのタイプであったものの、この作品を観たときにはそんなことは露知らず、こんなことならもっとジックリとピーター・パンにも注目しておけば良かったと後悔してみたりして(笑))が呼びかけたときに、真っ先に拍手をしたのが、現実世界の象徴とも言うべきシルヴィアの母親だったということが見事に証明しているのではないか。「ピーター・パン」が舞台で初演されたシーン(孤児院の子供たちを招待するというのが粋だ。しかも、この子供たちを大人たちの間に座らせることにより、子どもたちの喜びが大人たちにも伝染して共鳴するというアイディアがこれまたお見事)で、既にかなり涙腺が緩んでいたのだけど、このシーンと同時(そしてそれと同時に現れるネバーランド!)に涙がとめどなく溢れてきた。

 そして、シルヴィアを失い、その葬儀で思わずバリを罵ってしまったピーターとバリがベンチで語り合うラストシーン、これがまた泣かせる。だけど、信じることで、きっとピーターはシルヴィアといつでも会える、そう思えてならない。

2005/01/29 @渋谷シネフロント
  1. 2005/07/16(土) 17:34:10|
  2. movies(な)
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:0

酔画仙

suigasen.jpg

「酔ひて華やぐ神の筆」
お楽しみ度 ☆☆☆ 

 世の中は"韓流ブーム"らしいけど、そしたらこの作品にもっとスポットが当たってもいいんじゃないの?カンヌで監督賞を受賞し、韓国映画界でもソン・ガンホ、ソル・ギョングと並んで"別格"とされるチェ・ミンシクが主演し、韓国の国民的俳優であるアン・ソンギが脇を固め、「ラブストーリー」や「永遠の片想い」のソン・イェジンの映画初出演作品だということでも分かるとおり話題性十分。悪いけど、チェ・ミンシクやアン・ソンギの前では"四天王"だかなんだか知らないが、そういう連中などまだまだケツの青い"ガキ"同然。にもかかわらず、大々的な話題にもならずにひっそりと公開されて、岩波ホールでの上映の割には比較的上映期間も短い感じ。もっとも、結局現在の日本における"韓流ブーム"など、麻疹みたいな一時的な、所詮は底の浅いものだと思っているし、こうした芸術的な作品に、流行りモノに飛びついてる"だけ"のオバハン連中に大挙して来られても迷惑なだけだから(爆)、心から韓国映画を愛している人に観てもらえればそれでいいと思うけどね。

 な~んて、のっけから「テメェ喧嘩売ってんのか!?コラ!」と言われそうな暴言かましてスイマセンなんだけど(汗)、19世紀の朝鮮時代末期に筆一本で宮廷画家にまでのぼりつめ、"朝鮮時代三大画家"と称される実在の画家、チャン・スンオプの人生、そして時代の流れに翻弄され、苦悩するその姿を、チェ・ミンシクが抑制の効いた演技ながらも存在感たっぷりに演じている。彼にはやはりこういう役が似合うね。

 それにしても、歴史上も謎に包まれている部分があると言われているこのチャン・スンオプという画家の生き様、一度筆を握れば腕は超一流、だけど"酒と女なしには絵を描けない"と言われたその放蕩な生き様、だけど、せっかく描き上げた絵も結局は人々の名誉、虚栄心を満たすために利用され、ジレンマに陥り苦悩し、だけど酒代のためにはやっぱり絵を描かなきゃならないし、そして悩みながらまた酒と女に溺れていく様、そして、時代の流れに翻弄され、逃亡と放浪を繰り返し、やがて同じく時代の流れに飲み込まれ、隠遁生活を送っていた彼の師であるキムとの再会(泣き崩れるスンオプの姿が印象的だ)、最後に姿を消し、仙人になったとも言われる謎に包まれたままのラスト、天才にありがちな、世間の仕組みに適応せず、傍から見るとメチャクチャな人生。だけど、彼に関する残された少ない記録を元にその人生を再構築するとこうなるのかと、なにやら感慨深いものがある。

 それから、この作品で使われている美術品の類は、どうやら本物を使用しているらしく、そうしたものが居並ぶ映像的な美しさもこの作品のひとつの見所であろう。もっとも、あたしには美術品を見る目が欠如しているので、さながら"豚に真珠"という話も(冷汗)。

2005/01/23 @岩波ホール
  1. 2005/07/16(土) 17:34:01|
  2. movies(さ)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

オーシャンズ12

oceans12.jpg

「今度の11は、12人でキメる」
お楽しみ度 ☆☆☆

 前作「オーシャンズ11」が、些か薄味ながらもよくもまあこれだけの主役級のキャストを集めたもんだと思い、こうした"全員集合"的な作品はもう撮れないだろ、なんて思っていたところ、またしても集まっちゃいました、みたいな(笑)。出演者のスケジュールの調整だけでも大変だったんじゃないの?なんていうどうでもいいことを思ったりしたんだけど(笑)。

 物語は、前作でオーシャンたちに煮え湯を飲まされたベネディクトが、彼らの居場所を突き止めて、2週間で奪った金に利子をつけて耳を揃えて返せと迫るところから始まる。って、奪われた金には保険が適用されて戻ってきただろうに、更に利子を付けて返せって、このベネディクトもしつこいというか、細かいというか(笑)。

 そんなこんなで再び集まった11人が、アメリカ国内ではマークされているだけに今回はヨーロッパでお仕事、とばかりにアムステルダム~ローマへと飛んで、また盗みの手口を楽しめるのかと思いきや、今回はそういったテクニック的なことを主軸に置くのではなく、より豪華キャストの共演を単純に楽しむという方向にシフトしているような、そんな印象だ。だから、ストーリー的にはやっぱり薄味(苦笑)。

 前作ではジョージ・クルーニーのための作品という印象が非常に強く、他のキャストの描き方がぼやけてしまった、とレビューで書いたが、今回についてはブラッド・ピットやマット・デイモン、やむを得ず"12人目のメンバー"となったジュリア・ロバーツなどの見せ場もそれなりにあったりして、決してジョージ・クルーニーだけに焦点が当てられているという印象は受けなかった。しかし、さすがに全員に等しく焦点を当てるのは不可能であり、それ以外のキャラについてはほとんど"捨てキャラ"同然の、より一層存在感がなくなったのもいたりして(爆)、キャラの描き方が二極化してしまったような感じだ。前作ではジョージ・クルーニー以外のキャラの描き方がぼやけてしまったとはいうものの、それでもそれぞれが得意技を持つ"犯罪のエキスパート"だという位置付けがしっかりと描かれていたんだけど、今回はそれすらほとんど関係なし状態なんだもん。さすがにこれだけの人数をスクリーンに押し込むのは難しいというところか。

 とはいえ、せっかく集まった11人が、不測の事態でひとり減りふたり減り、終いには"そして誰もいなくなった"といったところでの一発逆転といったお約束的な流れ(途中でその鍵となるバックパックが2度ほど画面に登場していて、絶対これは何かあると思ったら、そういうことだったのね)、撮影当時のジュリア・ロバーツの状態を逆手に取るような彼女のネタ、カメオ出演の"あの人"など、細かいことを考えないでお気楽に観れば、決して退屈しないで観ることのできる肩の凝らないエンターテインメント作品だということも間違いない。もっとも、所々で散りばめられる"隠語"などの小ネタは蛇足だと思うけどね。で、マジで3作目はあるんですか?

2005/01/22 @新宿ミラノ座
  1. 2005/07/16(土) 17:33:39|
  2. movies(あ)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

スーパーサイズ・ミー

supersizeme.jpg

「ファーストフードを1日3食1ヶ月間食べ続けると、人間どうなる?」
お楽しみ度 ☆☆☆★

 世間では"暴れ食い"、いくら食べても太らない体質、として知られているあたしだけど、一応このスリムな体型を維持するために、1日3食規則正しく食事をとる、間食はしない(当然甘いものも食べない)、夜9時以降は極力食べないようにする、酒、タバコの類は一切やらない(酒は21で完全に止めたし、タバコはあの煙と臭いが大嫌い)という心がけというか、食生活を送っているというのが実情だったりする。ま、だからといって、あたしの辞書には"腹八分目"という概念は存在しないとばかりにいつもお腹一杯になるまで食ってしまうというのもどうかとは思うが(笑)。モチロン、ライヴの前の腹ごしらえなどでとりあへずファーストフードのお世話になったり、今日は飯作るのメンドーだな~ってときにはデリバリーのピザのお世話になることもしばしばだけど、決して習慣的にお世話になるようなことはしていない。これはきっと、ガキの頃からそういうものは"毒"みたいな教育を受けて育ってきたからなんだろうな~。というか、ファーストフードに限らずなんでもそれ"だけ"を食べてれば栄養のバランスが崩れるということを教え込まれて育ったというのが正解か。とすると、この作品の題材とされているファーストフードを習慣的に食べ続ければどういうことになるか、などというのは言われなくても当然って感じで思っていたのもまた事実だ。

 なもので、結果は火を見るよりも明らかだとは思ったものの、実際にモーガン・スパーロック監督自らが身体を張ってそれを実証するといういわば"人体実験"に対し、はっきりいって野次馬根性丸出しの気分での鑑賞と相成った。

 その"人体実験"の中身はというと、①マックのメニューしかオーダーしてはいけない、②"スーパーサイズ"を勧められたら断らない、③店内すべてのメニューを必ず一度は食べる、④朝・昼・夜、3食すべて残さず食べなくてはならない、というもの。初日はとりあへず滑り出し好調だったものの(前の晩の"最後の晩餐"とばかりの有機野菜メインの食事がなんとも対照的。しかも、監督のガールフレンドがベジタリアンだというのがなんとも皮肉だ。こんなの見せられる彼女がお気の毒って感じだね、こりゃ)、2日目には早くも気分悪くてゲ○吐いてるし、ドンドン体調も優れなくなり、体重は増えるわ、一日の摂取カロリー量はオーバーするわ、様々な数値も異常値を示すわ、オマケに勃つものも勃たなくなるにいたってはもう末期的。それにしても、この"スーパーサイズ"メニューの大きさは尋常じゃない。何でもかんでも大きけりゃいいってもんじゃないと思うんだけど、そこがアメリカなんだろうな。

 そんな"人体実験"に、アメリカの総人口の60%が肥満だとか、肥満の多い都市はどこか、とか、アメリカの学校給食の実情などの事例を挟み込みながら検証していくその手法は確かに興味深いものがある。"食"に対する意識の低い、習慣的にファーストフードに依存している人たちがこの作品を観れば、ある程度の衝撃を受けるのだろうなとも思う。しかし、アメリカではこういう事例があります、試しにファーストフードを食べ続けてみたら、こういう結果になりました、それを元に戻すにはこれくらいかかりました、てな感じで、事実関係を並べただけで、結局はそこまでなんだよね。そこから更に踏み込んだ監督自身の思想、今後どうしていくべきなのか、といったことが伝わってこない。映画って、作り手の"想い"が籠められていないと存在意義がないと思っているあたしにとってはそこが物足りない。もっとも、そもそものスタート地点が、肥満になったのはハンバーガーのせいだとファーストフード店を訴えた若い女性のニュースを見て、いっちょやってみようか、ということだったわけで、元々監督自身が危機感を抱いていて、それを映画にしたのではないということ。そこが一連のマイケル・ムーア監督作品との違いであり、それ故こうしたものに対する危機感や警鐘というものを感じられなかったというのも正直なところだ。まあ、監督自身も最後に言っているように、結局これってあくまでも個人の問題であるという部分があるからなんだろうけどね。ただし、人間が生きていいく上で必要不可欠な"食"に対する意識はもう少し高めるべきだと思うし、そういう意味でも"食育"の必要性を改めて感じた。

2005/01/16 @シネマライズ
  1. 2005/07/16(土) 17:33:20|
  2. movies(さ)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

カンフーハッスル

kunghu.jpg

「ありえねー。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆★

 チャウ・シンチー監督の前作「少林サッカー」が、サッカーとカンフーの組み合わせという、それこそ"ありえない"理屈抜きに楽しめる超娯楽大作で、そのあまりのおバカ加減にお腹がよじれるほど笑い転げ、笑いすぎてお腹が痛くなった(これ実話)。

 で、チャウ・シンチー監督の新作であるこの作品も、前作以上に"ありえない"モード全開の、カンフーの達人たちの妙技が楽しめる、これまたCGとワイヤー・アクションが全編に漲るチャウ・シンチー監督のカンフーに対する愛情溢れる超娯楽大作に仕上がっている。

 で、まず驚かされたのが、主演のチャウ・シンチー演じるサムが、善人ではなく、悪を目指して上海を仕切っている斧頭会へ入りたいと願うチンピラだということ。彼がカンフーの達人ではないのね。しかも、怪しい本を売りつけられて、それでカンフーを学んでたり(笑)、決して強くないのが哀しい(苦笑)。唯一の特技っていうのが錠外しっていうのがなんともトホホ(笑)。あ、でも驚異の治癒力っていうのもあったな。その一方で、サムがいちゃもんを付けた豚小屋砦の住民が、市井の人に身をやつしたカンフーの達人だというのがまたスゴイ。それ以上にスゴイのがサムにパンチを食らわせた畑仕事に精を出すオバチャンだったりして(笑)。そうなんだよね~、この作品っておバカ全開というよりも、こうした小ネタで笑わせてくれるというのが小粋だったりする。

 確かにそういったおバカ加減、笑いを期待していったというのはあるんだけど、それ以上にカンフーの達人たちによるカンフーの妙技を思う存分味わえたおかげで、笑いを期待していったにもかかわらず、結果としてかなりの満足感を味わうことが出来た。要するに、笑いはこの作品のエッセンスに過ぎず、単なるギャグ映画というよりも、正統カンフー映画にギャグをまぶしてみましたって感じ。それにしてもこのカンフーの達人たちの技は、観てて惚れ惚れする。ほとんど「ドラゴンボール」の天下一武道会の世界だな、こりゃ(笑)。特に豚小屋砦の大家夫婦の太極拳に獅子の咆哮、彼らのキャラも相俟って、ガツンとくる。あと、最強のカンフーの達人にして精神を病んじゃった"笑う殺し屋"火雲邪神。この人もその風貌からは計り知れない恐るべし、って感じだもん。なんか、チャウ・シンチーが主役というよりも、これらのカンフーの達人たちが主役って感じの展開でした(しかも、彼らって、香港映画のスターな人たちなんだね)。

 とはいえ、チャウ・シンチーが主役だということになっているので、チンピラ・サムの活躍の場は最後に用意されてると思ったらそのとおりで、火雲邪神の一撃で全身の脈が開いて彼の潜在的な真の能力が開花するっていうのがこれまた可笑しい。彼の白の上着と黒のパンツのいでたちがなんとも凛々しくカッコいい。そして彼が最後に繰り出す如来神掌。痺れるね~。

 それともうひとつ、カンフーの妙技と併せてサムの幼少時の思い出。屋台のアイス売りの少女フォンとサムの関係。一見ストーリーの本筋とはかけ離れているようにも思えるけど、サムの幼少時の怪しい(笑)カンフーを学び始めた頃のエピソードと現在をリンクさせるということで、決して無駄なエピソードだったとは思わない。まあ、ラストのキャンディーの話は出来すぎという気もするけど(笑)。とはいえ、ラストのあのシーンに思わずホロリとなっている自分がいたりするのだけれど(笑)。

 兎にも角にもまずはアクション。ここまで徹底的にやってくれると爽快、そして痛快。こうした一大エンターテインメント作品は、やはり四の五の理屈をこねてないで素直に楽しむのが正解だと、心から思ったのでした。

2005/01/08 @新宿ミラノ座
  1. 2005/07/16(土) 17:32:18|
  2. movies(か)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

巴里の恋愛協奏曲

paris.jpg

「誰もが誰かに恋してる」
お楽しみ度 ☆☆☆

 この作品って、"ミュージカル"ではなくて"オペレッタ"だそうな。ミュージカルとの一番大きな違いはミュージカルがマイクを使うのに対して、オペレッタは原則として生の声で歌うらしい(ということが、この作品のチラシに書いてありました)。

 そんなパリでロングラン・ヒットを記録したオペレッタを映画化したこの作品、オープニングの歌いだしのシーンから掴みは上々といった感じで、実業家の夫ジョルジュと理想的な結婚生活を送るジルベルト、しかし、彼女にはジョルジュにも言えない秘密があった。その秘密とは彼女がジョルジュとの結婚前にアメリカに居住していたときにエリックというアメリカ人との離婚歴があり、"女は初めての男のもの"という持論を崩さないジョルジュには絶対に知られてはならないもの。しかし、ジョルジュが仕事でエリックと知り合い親しくなり、彼らの家へ招かれ、ジルベルトはパニック寸前、その一方でジルベルトに想いを寄せる青年シャルレ、そのシャルレに想いを寄せるユゲットも加わっての恋のドタバタが歌を交えながら繰り広げられる。

 ストーリーとしては定番というか、非常に分かりやすく、オペレッタのラストはハッピーエンドで終わるというお約束事があるらしく、そういった意味でも大団円のラストも含めて安心して観ていることが出来る類の作品であろう。

 しかし、そういう作品であるにも拘らず、あたしは正直この作品を心から楽しむことが出来なかった。それは何故なのか考えてみたんだけど、要するに登場するキャラクター個々の魅力が全然立っていないということなのだ。例えば主演のサビーヌ・アゼマ演じるジルベルト。夫から愛され、複数の男から求愛される。しかし、彼女には年齢云々ということではなく、どうも艶と輝きが感じられず(どちらかというと枯れた感じ)、どうして彼女がこんなにも愛されるのか、理解に苦しむ。物語の一番の中心人物である彼女に魅力が感じられなければ、やはり楽しめないでしょ。それからジャリル・エスペール演じる彼女に想いを寄せるシャルレ。お前は嶋田久作か!?と思わずツッコミを入れたくなってしまうアゴ男(爆)。それになんかギトギトとした嫌らしさを感じてしまったのだけど。こういう男にオドレイちゃん演じるユゲットが惚れること自体が許せん(爆)。お目当てのオドレイ・トトゥ演じるユゲットにしても、確かにカワイイけど(かなり贔屓目)小悪魔的な魅力とまではいかない様な気もするし、わざわざ彼女が演じる必要もないのではなかろうか。それと、どうもここ日本ではオドレイ・トトゥが主演、みたいな宣伝がなされていて、それって違うんじゃないのかなと。

 そうしたキャラクターの魅力が感じられなかったために前述した大団円のハッピーエンドにしても、どうもスッキリとした気分になれなかったのが非常に残念だ。映画に大切なのはまずは脚本だけど、やっぱりキャラクターの魅力というのも大切な要素のひとつなんだなと。まあ、アパルトマンの管理人フォワン夫人を演じるダリー・コール(この人男性だったのね)は唯一クスリとできるキャラクターだったけど。あと、ジルベルトの妹アルレットを演じたイザベル・ナンティってどこかで見た顔だと思ったら、「アメリ」に出てた女優さんでした。

2005/01/07 @シャンテシネ
  1. 2005/07/16(土) 17:30:22|
  2. movies(は)
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:0

レジェンド・オブ・メキシコ

mexico.jpg

「愛だけが、ただひとつの正義だった。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆☆

 たったひとりで、ふたつ町を始末した男。そして、悪名高き将軍、マルケスの女を奪った男。情報屋ベリーニは、酒場で"伝説の男"について語っていた。語る相手は、CIA捜査官サンズ。彼は、腕利きの殺し屋を捜していた。そしてベリーニが紹介するガンマンこそが、伝説の男"エル・マリアッチ"だ。

 現在はマルケス将軍に壮絶な報復を受け、失意のままに殺し屋家業を引退したマリアッチ。マリアッチに会ったサンズは、こう語る。「クーデター未遂がある。マルケス将軍が、大統領を殺す。でも、マルケスに権力は握らせない。奴が大統領を殺した後に、マルケスを殺せ」「腕の良すぎるコックは、殺す。俺はそうやって、国のバランスを保つ。大統領も一緒だ」と。マリアッチは、依頼を受けた。報酬のためではない。ずっと胸に秘めていた、復讐のためだ。カロリーナと子供のために・・・。

 「パルプ・フィクション」同様、あたしの人生を変えたロバート・ロドリゲス監督の「エル・マリアッチ」。この作品は、その「エル・マリアッチ」、「デスペラード」に連なる"マリアッチ3部作"の最終章を飾るに相応しい、幾らメジャーになって、作品のプロダクションが大きくなろうとも、相変わらずロバート・ロドリゲス監督が好き勝手にやる、ロドリゲス・ファンのため"だけ"の、ついて来れる奴だけついて来い的な、彼の本質がまったく変わっていないということが嬉しい、ロドリゲス魂炸裂の熱い作品に仕上がっている。そういう意味では、かなり強引な例えになるかもしれないが、お互いを"ブラザー"と呼び合うクエンティン・タランティーノ監督の「KILL BILL Vol.1」のような位置付けの作品と言ってもいいだろう(両作品とも、エンド・クレジットのThanks Listの筆頭にお互いの名前をクレジットしているところがなんとも)。

 まずはオープニングの酒場のシーン。「デスペラード」ではスティーヴ・ブシェーミがチーチ・マリンに語った"伝説"を、今度はチーチ・マリンがジョニー・デップに語るところからニヤリとさせられる(「デスペラード」でチーチ・マリンは死んでいるけど、他のキャラとなって登場)。オマケに、その"伝説"の中ではマリアッチがエレキ・ギターを武器にしてるし。火を噴くエレキ・ギター。う~ん、ロックだ(謎笑)。それと、サルマ・ハエック演じるカロリーナが投げるナイフが、これまた「デスペラード」でダニー・トレホが使用していたナイフだし(笑)。あと、マリアッチの回想シーンでの、マリアッチとカロリーナがホテルからワイヤー伝わってバスに飛び乗るシーンなんて、間違いなく「エル・マリアッチ」からの引用だろうし。他にも「デスペラード」同様、教会での懺悔部屋っつうんですか、あそこのシーンとか(しかしまあ、銃撃シーンの最中、スタコラと何事もなかったように教会を後にするオバアちゃまがなんともイカしてる(笑))、こういうファンのオタク心をくすぐるシーンで完全に掴みはOK。あとはもう、"ロドリゲス・ワールド"に身を委ねるだけ。

 ちなみに、3部作といっても、今回はマルケス将軍の女だったというカロリーナ(「デスペラード」ではブチョの女)の位置付けなど微妙に違っていたりして(カロリーナを演じるサルマ・ハエックの出番が回想シーンの中だけというのが唯一の不満だ。まあ、復讐の物語ということで、物語の性質上仕方ないし、こういう重要なキャラまでもあっさりと殺っちゃうのがロバート・ロドリゲス監督の持ち味というのは間違いないんだけどね)、パラレル・ワールドのような、完全なる続編というわけではなかったりするのだが、そんな細かいことはどうでもよく、豪快なガンファイトと爆破シーン、思い切り吹っ飛ぶ悪者たちにラテン・フレイバー溢れる音楽などが相変わらず心地よい。それと、スケボーと化すギター・ケースに、火を噴くギター・ケースやラジコン式のギター・ケース爆弾なんていう、「デスペラード」におけるマシンガン内臓ギター・ケース&ロケットランチャー内臓ギター・ケースと同様の、遊び心満載の小道具も楽しい。

 まあ、確かにクーデター、麻薬王、FBIにCIAなんかも飛び出して、話がどんどん大きくなっていく割には内容が散漫、なんて声も聞こえてきそうだけど、最初にも書いたとおり、これはロドリゲス監督が好き勝手にやっただけの作品なわけで、重厚な内容など求めちゃいけません(爆)。

 それにしても、今回も思い切り"濃い"メンツが顔を揃えたよな~。ダニー・トレホ(濃い顔のアップもあるし、その割にはあっさり殺られちゃうのがらしい感じ(笑)。そういや、パンフレットの人物相関図における、彼が演じるキャラクター、ククイの紹介文の"職業:ダニー・トレホ"の一文に大爆笑)&チーチ・マリン(ジョニー・デップに撃たれた挙句、ケツの穴に指を突っ込まれる最期が哀しい(爆))のロドリゲス作品常連組はモチロンのこと、なんともエキセントリックなんだか冷酷なんだかよく分からん麻薬王バリーリョを演じるウィレム・デフォーの妙な存在感は相変わらずだし(物語の最初の方で、ある男性を屋敷に呼んで満悦だったのは、「生まれ変わる。」ということへの伏線だったのね)、組織を抜け出したいのに抜け出せない、心優しき悪党ビリー・チェンバースを演じるミッキー・ロークの心の葛藤がなんとも上手いし(常にチワワを抱いている姿がなんか可愛い(笑))、バリーリョに相棒を殺されて、サンズの依頼で敗者復活戦とばかりにこの戦いの渦の中へ身を投げ出していく元FBI捜査官ラミレスを演じるルーベン・ブラデスのいぶし銀の存在感もなかなかのもの。

 それと、CIA捜査官サンズを演じるジョニー・デップ。物語の狂言回しとしての役回りをしっかりと演じている。クーデターに乗じて私服を肥やそうとする、良心の欠片すら見当たらない悪役なんだけど、完全なる悪という感じでもなく、妙に憎めないチンピラぶりがさすがだ。バリーリョの策略にはまって両目を抉られた後の、血の涙を流した状態で銃を撃つシーンはカッコよかったな~。また、義手とか、コントのような変装用の付け髭(笑)、C.I.A.とプリントされたTシャツ(パンフレットによると、このプリントの下には"Cleavage Inspection Agency"なる文字が・・・(爆))など、小道具にも抜かりがない。こんな役を演じられるのは、やっぱり彼を置いて他にいない。あと、ピビルなる料理も一度食べてみたい。でも、美味すぎるからといって、コックを撃ち殺すようなまねはしないけど(笑)。

 しかし、これらの一癖もふた癖もある共演陣を差し置いて、やはり主役を張るのはマリアッチを演じるアントニオ・バンデラス(一部の宣伝で、"ジョニデ最新作"なんていう言われ方をしていたが、決してそんなことはなく、ジョニデはあくまでもゲスト扱いに過ぎないのだ)。台詞は決して多くはないものの、愛する妻と娘を奪われて復讐に燃える、そして祖国メキシコをクーデターから守ろうとする哀愁のガンマン、マリアッチを、ギュ~っと凝縮させた濃縮還元120%といった趣で静かな炎を燃やすがごとく、クールに熱く演じている。ラストでメキシコ国旗を身体に纏って颯爽と歩くその姿に、こみ上げてくるものを押さえきれずに目頭が熱くなった。

 「KILL BILL Vol.1」を観たときと同じように、この作品を観ても泣きそうになってしまうおバカなあたしだけど(爆)、"マリアッチ3部作"、そしてロバート・ロドリゲス監督のファンでよかったと心から思ったのでありました。
  1. 2005/07/15(金) 21:56:16|
  2. movies(や~わ)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

しあわせな孤独

openhearts.jpg

「愛について、誰も教えてくれなかったこと。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆

 デンマーク映画といえば「奇跡の海」だったり、「ダンサー・インザ・ザーク」などが真っ先に頭に思い浮かぶのだけど、この作品は、より身近な"愛"について描いた作品ということになるのかな。

 結婚を約束した幸せなカップルのうち、男性が車に撥ねられて、撥ねた女性の夫が勤める病院に運び込まれ、その夫が、撥ねられて首から下の神経が完全に麻痺してしまって回復不能になった男性のパートナーの女性を力づけようとするうちに、いつしかこのふたりが恋に落ち、今まで平穏だったそれぞれの人生がそれこそ雪崩をうつかのように崩れ落ちてゆく。交通事故という、ひとつの偶然、事件がきっかけとなって巻き起こる人生の皮肉、悲劇。そしてそこに映し出される人間の弱さ、哀しさ、身勝手さ。その展開の仕方がなんともリアルで、辛くて痛くて哀しくて苦しくて切なくて。だけど、彼らの行く末を見届けたくて、一時たりともスクリーンから目を離せない、そんな作品に仕上がっているのではなかろうか。モチロン、感情移入できるかどうかは、観る側の価値観が多分に反映されるのだとは思うけど。

 また、登場人物たちの姿もやけに等身大で、そのいずれにも感情移入、共感ができるような、そんな感じ。事故に遭ったヨアヒムの、自分に起きたことを俄かには受け入れられずに荒む心のあり方には、やはり15年前にそれこそ"死"を覚悟し、その現実を受け入れられずに苦しんだ自分自身の姿を重ね、重体に陥ったヨアヒムを支えようとするも、ヨアヒムに突き放されて混乱し、自分の居場所を完全に見失ったセシリには、自分の居場所、心の内を埋めてくれる人を求めずにはいられない人間の弱さを感じ、そんなセシリを慰めようとするうちにいつの間にかセシリに恋してしまうニルス、そしてセシリには、家族がいるのに、恋人がいるのに、と思いつつも、理屈では計り知れない人間の身勝手さ、エゴを思い(あの家具を買いに行くシーンはないだろー)、自らニルスにセシリを力づけるように頼んだことが仇となって夫を失う危機に直面してしまうマリーには、人生の皮肉を思い、自分が助手席で母親と口論していたがために前方不注意によってこの交通事故が起きたのではないかと心を痛め、その事故をきっかけとして芽生えた父ニルスとセシリの関係に強い拒否反応を起こすスティーネには、10代の少女の潔癖さを思い、と、すべての主要登場人物に共感、感情移入ができるということで、それぞれの登場人物の人物描写がとても優れていると思うし、もし自分が彼らと同じような立場に立たされたら、それが誰の立場であったとしても、同じような行動に走るのではないかと思わせられてしまう。でも、さすがにヨアヒムを轢いたその日に家族で誕生パーティーを開くその神経には共感できなかったけど(苦笑)。

 そして、ひとつの出来事がきっかけとなって今までとは違う方向に回り始めた彼らの運命を象徴するかのごとく用意されたエンディング。失った時間、一度狂った運命の歯車は二度と取り戻せず、元に戻ることはない。そこにまた、運命、そして人生の皮肉、哀しさを見出して、胸を痛めてしまうのだ。人間の性とは痛く、そして哀しい。でも、一体誰を責めることができよう?弱く、不完全であるのもまた人間なのだ。
  1. 2005/07/15(金) 21:52:09|
  2. movies(さ)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

父と暮せば

chichitokuraseba.jpg

「おとったん、ありがとありました。」
お楽しみ度 ☆☆☆☆☆

 あたしの父は広島出身。広島に原爆が投下された1945年8月6日は疎開していて難を逃れたと記憶しているが、小学生の頃、夏休みには家族で父の実家の広島を度々訪れ、それと同時に原爆ドーム及び原爆資料館も訪れ、そこで目にした資料の数々に、子供心に非常なショックを受け、それは今でも忘れられない思い出になっている。おそらく、戦争というものに対するあたしのスタンスはきっと、その当時の体験も基になっているのだろう。

 そんな"ヒロシマ"への原爆投下から3年後の夏を描いたこの作品、元は井上ひさしの舞台で上演されていたものであり、映画でもほぼ宮沢りえと原田芳雄のふたり芝居(あとは浅野忠信がほんの少し出てくるだけ)の体を取り入れ、舞台の色を色濃く残した雰囲気で展開していく。

 この作品を語るのに、多くの言葉は要らない。原爆で父や親しい友人たちが亡くなってしまったのに、自分だけが生き残ってしまったことに後ろめたさを感じ、好きな人が出来たのにその気持ちすら押し殺して生きようとする宮沢りえ演じる美津江と、そんな彼女を応援しようと現れる竹造の幽霊。竹造自身が語っているように、この竹造の存在は、「幸せになりたい。」と願う美津江の心を投影したもの。だけど、自分だけが幸せになってはいけない、どうして自分が助かってしまったのだろうと葛藤する美津江。そんな彼女の心があまりにも哀しい。この戦争は、目に見える爪痕だけではなく、本来ならば助かって喜ぶべき人たちの心にまで、生きていることに対する負い目、後ろめたさという、簡単には拭い去ることの出来ない途方もない大きな心の傷まで残してしまったのだ。竹造が「一寸法師」のパフォーマンスで語る言葉、美津江が自身の心情を吐露する言葉に、胸を塞がれ、引き裂かれるような痛みを覚えて涙が止まらなかった。そう、感動とかそういう安っぽいものではなく、ここにあるのは痛み。そして、派手なギミックのような視覚でそれを伝えるのではなく、元が舞台だからというのもあるのだろうけど、広島弁で訥々と語られる言葉、その言葉が胸に響き伝わり、痛みと哀しみが伝わってくる。そこに、お涙頂戴的な偽善的な感情は微塵も感じられず、黒木和雄監督の真摯な想いが伝わってくるのだ。

 また、主演のふたり、美津江を演じる宮沢りえの、派手さはないが、後ろめたさと負い目を抱えて生きてきた揺れ動く感情表現に、彼女もいい"女優"になっていたのだとの思いを強くし、そして、竹造を演じる原田芳雄の、娘を想う父親をコミカルな雰囲気も交えながら貫禄十分に演じ、観る者を一気にその作品世界の中に引きずり込むかのような存在感も文句なしに素晴らしい。

 来年でこの出来事が起きてから60年。当時を知る人はどんどん減っていって、その記憶も風化していく危惧があるのだけど、声高に"戦争反対!"と唱えなくても、こういった形で後世へ伝え、遺していくというのもひとつの方法なんじゃないかと思う。同じ過ちが繰り返されないためにも。これを綺麗ごとと笑う人は、笑わば笑え。手遅れになってからでは遅いのだ。

  1. 2005/07/15(金) 21:48:31|
  2. movies(た)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ラブ・アクチュアリー

love.actually.jpg

「気付いていますか?愛は実際まわりにあふれていることを・・・」
お楽しみ度 ☆☆☆☆☆

 そもそも、この作品を観るつもりはなかった。正直なところ、巷に溢れている凡百のラブストーリーと大差ないだろうという先入観にとらわれていたから。だけど、この作品を観た、周囲の信頼の置ける人たちの評価が皆一様に高いことから気になって、しかも、大好きなビル・ナイが出演しているということも拍車をかけて、ダメもと、ビル・ナイを観られればそれでいいや的な、お気楽モードで観に行ったところ、これが大正解。ガッツリ笑って泣いて、最高にハッピーな気持ちになれる、なんともハートウォーミングなストーリー。自分でも、まさかここまでハマるとは思わなかったけど、こんな素敵な作品をツマラン先入観から危うく観逃すところだった自分の鈍い感性を呪いたくなる(汗)。

 物語は、総勢19名の主要キャスト、トータル9つのストリーから構成される。新首相とそのお茶汲み秘書、妻に先立たれた男性とその妻の連れ子、弟に恋人を寝取られた作家と傷心旅行先のフランスで出会うポルトガル人のメイド、夫の浮気心に悩む妻、2年7ヶ月もの間同僚を想い続ける女性、親友の新妻に恋心を抱く画家、イギリスではもてないからと、アメリカへガールハントの旅へ出る男性、スターのスタンド・インとしてカメラの前に立ち、濃厚なラブシーンを演じる男女、そして、落ちぶれた元ロック・スターとそのマネージャー。

 これらのストーリーがが並行して語られるというのは、ともすると物語全体が散漫になってしまうリスクを負うものだが、この作品に関して言えば、そんな心配は無用。それぞれのストーリーや登場人物が等身大で、「そうそう!」「あるある!」といった共感を呼ぶことが出来るし、ひとりひとりの登場人物の書き分け、人物描写がしっかりとなされているために混乱することもなく(とはいえ、ぢつは、最初リーアム・ニーソンとコリン・ファースの区別が付かなかったということを告白しておく(汗))人間ドラマとしても十分に楽しめ、幾つかのストーリーで登場人物が微妙にリンクしながら収束していくという構成の上手さも手伝って、最後に見事な着地を決めるという手法がなんとも心憎い。最初と最後に空港のシーンを持ってくるという構成も上手いよね。最後なんてもう、顔がグシャグシャになるくらい泣きましたよ、あたしは。普遍的な魅力を備えた、満足感でお腹一杯になって笑顔で映画館を後に出来る映画、そんな作品に仕上がっていると言っていいだろう。

 この9つのストーリーの中で、一番のあたしのツボだったのは、キーラ・ナイトレイ絡みの、親友ピーターの新妻ジュリエットに恋心を抱いてしまう画家、マークのストーリー。教会の結婚式での"All You Need Is Love"の趣向からしてもうツボ。そして、自分がジュリエットのことを好きだという気持ちを抑え込むために彼女につれなく接してしまう心理。凄くよく分かる。そんな彼の気持ちを知らずに自分が彼に嫌われているんじゃないかと勘ぐってマークと友達になろうと努めるジュリエット。結婚式のビデオを見せてもらうという口実で彼のアパートを訪ねたジュリエットが目にした、彼女ばかりを追いかけているビデオテープ。「そうだったの・・・。」と呟く彼女に自分の気持ちを気付かれてしまったときのマークの気持ち、そしてクリスマスの晩にジュリエットのもとを訪れて、紙芝居で自分の気持ちを伝えるマーク。彼の気持ちが痛いほど分かるだけに、もう切なくて切なくて、涙が止まらなかった。

 その他のストーリーについても、新首相とお茶汲み秘書のストーリーでは、最初の秘書のナタリーの4文字言葉でもうすべて許せちゃうみたいな(笑)。日本では、絶対に首相をネタにして、こうしたスマートなストーリーは作れないよ。デヴィッドを演じるヒュー・グラントの、ちょっと弱気なナイーブな感じが独身首相の雰囲気とマッチしていたし、サッチャーの肖像画をあの場面で使うというのがいかにもブリティッシュ(笑)。シチュエーションは全然違うけど、女王陛下をネタにした「シューティング・フィッシュ」を何故か思い出してしまった。また、傲慢なセクハラ・アメリカ大統領をビリー・ボブ・ソーントンに演じさせるというキャスティングのセンスも抜群。会談後、ナタリーに対するアメリカ大統領のセクハラ場面を目撃してしまった後の記者会見で、イギリスの様々な有名なものを挙げながら、ガツンと一発食らわせるシーンには溜飲が下がる思いだ。そして、ラストの学校のクリスマス発表会の舞台裏のキスシーン。こういう作品には、こうしたやり過ぎくらいがちょうどいい(笑)。

 妻に先立たれた男と妻の連れ子のストーリーでは、血の繋がらない継父ダニエルと義理の息子サムの心の触れ合いが、ジワリジワリと胸に染みてくると同時に、息子サムの片想い。もてるためにはバンドだぜ~とばかりにドラムを練習し始めるサムの姿には、音楽ファンとしてはニヤリとせずにはいられない。ラストで空港に好きなあの子に告白に走る姿、空港係員に捕まって連れ戻された後に彼女が戻ってきてチュってシーンに思わずホロリ。

 作家ジェイミーとメイドオーレリアのストーリーには、言葉の通じないふたりの想い、彼女に想いを伝えるために帰国後ポルトガル語を一生懸命習うジェイミーがなんとも微笑ましい。ラストの告白シーンは、いかにもお約束的な展開なんだけど、それでも心の中で喝采を送らずにはいられない。しかしまあ、どんどんついて来る村人の数が増えていくんですけど(笑)。

 夫ハリーの浮気心に悩む妻カレンが、てっきり自分へのプレゼントだと思っていたネックレスが自分のためのものではなく、だけど、彼からのプレゼントが大好きなジョニ・ミッチェルのCDだというのがなんとも複雑な気分。これはキツイよ。このストーリーでは、こだわりの宝石店店員、ローワン・アトキンソンがいい味を出している(笑)。

 2年7ヶ月のサラの片想いは、クリスマス・パーティーの夜にその片想いの相手、カールが自分の家に上がってくれるときのサラの小さなガッツポーズがなんともキュート(笑)。だけど、カールよりも、サラの精神を病む弟の世話をしなきゃならないというのが、世の中奇麗事だけで上手く進むものなのではないという現実にほろ苦さを覚えたりして。

 アメリカへガールハントのたびに出るコリンの場合は、お約束的な展開だとすべてを毟り取られて心身ともにボロボロになって帰国するというのが関の山だと思うんだけど、これがまあ、思い切りモテモテじゃん、みたいな(笑)。こういういい意味で予想を裏切る展開というのは大歓迎。やっぱ、こういう作品には、ハッピーエンドがよく似合う。

 こうしたストーリーのどれもが好感の持てるもので、それぞれのキャラクターを演じる俳優が上手い具合に噛み合っていたと思うんだけど、俳優陣の中で一番のヒットは、やっぱりビリー・マックを演じるビル・ナイに他ならない。オープニングでいきなり彼のアップが映し出されただけでもう掴みはOKみたいな(笑)。落ちぶれた今でも未だにスター気取りが抜けきらない元ロック・スターというキャラクターは、やはり彼が同じく昔の人気バンドのヴォーカリストを演じた「スティル・クレイジー」を髣髴とさせるものだし、要所要所でスパイス的な役割を絶妙に果たしているのが何といっても素晴らしい。影の主役はビル・ナイだと断言しましょう。オマケに、クリスマス・ソングのNo.1になったときの公約をしっかりと果たしてるし(笑)、プロモーション・ビデオはコテコテの80年代(どうも、故ロバート・パーマーのプロモ・ビデオのパロディーらしいのだが、オリジナルを見た記憶がないので、ここで大笑いできなかったのが残念)。そんな彼と彼の我儘をハンドリングしながら、影に日向に支えるマネージャーのジョーとの友情物語というのがまたいいんだ。

 それと、音楽ファンにはたまらない幾つかのネタ。ピーターとジュリエットの結婚パーティーのDJがMOTORHEADのTシャツを着ていたり(その割りに、かける曲がパーティー参加者にも不評なソフト・ミュージックだというのが笑える)、サラの弟との電話での会話の中でジョン・ボン・ジョヴィが出てきたり、ビリーのパーティーの中でエルトン・ジョンがネタになったのは、ビリーからジョーへのあの告白シーンへの前フリだったのね、とか、サムのドラムのネタも含めてしっかりと笑わせてもらった。

 そして、やはり素晴らしいのが、物語と絶妙にマッチする音楽たち。「みんなのうた」のレビューでも書いたけど、ジャンルなど関係なしに音楽の持つ偉大な力を再認識し、音楽と映画とは密接不可分であるということをあらためて思い知らされた。速攻サントラ買っちゃったもんね。

 というわけで、近年稀に見る、正統的なラブストーリー、人間ドラマの傑作だと断言する。この作品の良さをあたしに教えてくれた、すべての人たちに感謝します。本当にありがとうございました。
  1. 2005/07/15(金) 21:43:19|
  2. movies(や~わ)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

スクール・オブ・ロック

school.of.rock.jpg

「いつだって夢中になれば、人生の成績は"A"がとれる!」
お楽しみ度 ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆

 のっけから恐縮だが、いきなり暴言吐かせてもらいます。この作品は、全"ロック・ファン"必見!の作品。もし自称"ロック・ファン"で、この作品を観て何も感じない人がいたら、あたしはその人を"ロック・ファン"とは認めないし、そういう人たちとロックの話はしたくない。と、言いたくなるくらい、この作品はロックに対する深い深い愛情が満ち溢れている、まさしく傑作!と呼ぶに相応しい作品なのだ。

 ストーリーはいたって単純。自らのバンドをクビになって、居候しているアパートも追い出される寸前のギタリスト、デューイ・フィンが、アパートのルームメイト、代用教員のネッドに成りすまして、名門私立小学校に代用教員として潜り込み、そこで出会った音楽の才能溢れる生徒たちにロック・バンドを組ませてバンド・バトルに出場し、賞金Getを目論むというもの。その過程で、親の敷いたレールの上を走るだけだった優等生の子供たちが、ロックと出会うことで型に嵌った生活から抜け出し(この生徒たちの姿に、ロックに出会う前のあたし自身の姿が重なった。あたし自身も、ロックと出会う前は、単なる優等生。でも、ロックと出会ったことで人生が変わったもんな~。で、その結果が今のダメな大人だったりするのが哀しいけど(汗爆))、デューイ自身も単なる自己チューオヤジから脱却していく。この辺はまさしく定番。だけど、そんなことはどうでもよく、ロック・バンドを結成してクラスみんなが一致団結していく様がなんとも素敵だし、バンドはステージに立つ人間だけがスターなのではなく、ローディー、セキュリティ、照明、衣装、マーチャンダイズのスタッフなどの裏方あってのもの(ついでにグルーピーもね(笑))。それをしっかりと示し、子供たちを対等に扱うというデューイの姿勢がいい。デューイが実は偽者の教師だとバレても、彼と子供たちの間にできた絆は決して切れることなく、ラストのバンド・バトルに突入していく。まさしく大団円を迎えるがごとく繰り広げられるパフォーマンス(このオリジナル楽曲"School Of Rock"が歌詞、サウンドともなんともイカしている!)には、堪えきれずに涙してしまった。これぞまさにロック!オープニングではステージ・ダイブしても誰にも受け止めてもらえなかったデューイが、ここではしっかりと観客に受け止められるというのがなんとも象徴的だ。素晴らしいステージは、それ一発で観客の心を掴むものなんだよ。そして、もう、このデューイを演じるジャック・ブラック自身が"ロック"そのものって感じなのがなんとも痛快だ。作品としては個人的には好きになれなかった「ハイ・フィデリティ」でも、彼の存在感だけは異彩を放っていたもんね。そういや余談ながら、ジャック・ブラックとジョーン・キューザックって、この作品でも共演してなかったっけか?(同時にスクリーンに登場はしていなかったけど)

 とまあ、ストーリーもそうなんだけど、それ以上にロックを深く愛していればいるほど思わず笑ってしまう小ネタが満載なのも嬉しい。デューイの部屋やバンに貼りまくられたポスターやステッカー等の類。BLACK SABBATH、OZZY OSBOURNE、IRON MAIDEN、MINISTRY、NINE INCH NAILS、CANIBAL CORPSE、RAMONESなどなど枚挙に暇がない。で、彼のギターはギブソンSG(アンガス・ヤングだ!)で、生徒のザックに持たせるのはフライングVだし、クラスの最初の音合わせでは"Iron Man"、"Highway To Hell"、"Touch Me"、"Smoke On The Water"のフレーズが飛び出すわ、LED ZEPPELIN、MOTORHEAD、AC/DCなどの名前が飛び出すわ、もう笑うしかない。オマケに、生徒たちに宿題として渡すCDのセンスが素晴らしい。コーラス担当のブロンディにはモチロンBLONDIE、ギターのザックにはジミヘン、さらに凄いのはここから。キーボードのローレンスにはYES、ドラムのフレディにはRUSH、そしてコーラスのトミカにはPINK FROYD(しかも、"The Great Gig In The Sky(虚空のスキャット)"だよ!)と、監督のリチャード・リンクレイター&脚本のマイク・ホワイト&デューイを演じるジャック・ブラック、非常に良く分かってらっしゃる!(笑)

 その他にも、子供たちに楽器をプレイするだけでなく、そのときのアクションを教え込むシーンがこれまた笑える。ザックにアクションを教えるときの表情、仕草、ザックが自分の部屋で親に隠れてこっそりとアクションの練習をするのは、間違いなくピート・タウンゼントだし、フレディにはしっかりとスティック回しを教え込むわ(クライマックスのライヴ・シーンでしっかり回してます(笑))、スティックを落としても背中にしっかりスペアのスティックを仕込んでおくとか。あ、そうそう、デューイが反MTV派だということが分かったのもなんだか嬉しいし(謎笑)、ロック講座とばかりに黒板一杯に書かれたロック相関図。これがまたロック・ファンのオタク心をくすぐるに十分。そういや、デューイの正体がバレる直前に「うちの子がデヴィッド・ゲフィンに熱を上げてるんです~。」などという母親の一言がまた可笑しかったりして(笑)。

 ちなみに、バンド・バトルでのデューイのステージ衣装、スクール・ユニフォームは間違いなくアンガス・ヤングを意識している。となると、当然"School Of Rock"の最初のリフがAC/DCっぽいのも頷けるし、ついでにロックの道を極めるのはまだまだ先が長いぞということで、バンド・バトルに優勝できないのは当然だし、優勝できなくても観客の熱いコールに応えてのアンコールとして演奏するのが"It's A Long Way To The Top"というのも当然の帰結なわけ。AC/DCといえば、デューイの台詞の中で、"For Those About To Rock We Salute You"の一節が使われていたっけ。

 そして、それぞれのシーンに絶妙にマッチしているサントラのセンスがこれまた絶妙。特に、スティービー・ニックスが好きだという堅物校長のマリンズをバーに連れ出して、ジュークボックスからポンと"Edge Of Seventeen"をかける間がかなりあたしのツボ。どうせなら、ジョーン・キューザックのスティービー・ニックスの物真似を見たかったな~(笑)。サントラCDには収録されていない珠玉のクラシック・ロックが炸裂していたのも嬉しかった。もっとも、最近の楽曲ではなく、その多くがクラシック・ロックばかりというところに、妙に細分化されてしまった現在のロック・シーンに対する警鐘が感じられたというのは考えすぎかな?(つうか、リチャード・リンクレイター監督やマイク・ホワイト、ジャック・ブラックの世代的なもの?)そんな中で、2003年にロック・シーンに彗星のごとく現れたTHE DARKNESSの楽曲が何の違和感もなく溶け込んでいたのは賞賛に値する。彼らの楽曲は、他の偉大なバンドの楽曲と同様、普遍的な魅力を持っているということが再認識できたから。

 さらに、大団円のエンディングを迎えた後のエンド・クレジットの使い方。このセンスにはもう脱帽するしかない。笑って泣いて、ロックが好きでよかったと心から思える作品。いやもう、ロック最高!ロック万歳!
  1. 2005/07/15(金) 21:41:15|
  2. movies(さ)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

KILL BILL Vol.2

kill.bill.vol.2.02.jpg

「KILL is LOVE」
お楽しみ度 ☆×∞

 花嫁("ザ・ブライド")は、ひとりの男を追って世界を旅している。その男の名はビル。娘を殺した男であり、その娘の父親であり、かつて愛した男であった。そして彼女は、まだ娘が生きていることを知らない・・・。

 あたしにとっての2003年のChampion、「KILL BILL Vol.1」公開直後から、これを楽しみに今まで生きてきたといっても過言ではないこの「Vol.2」。まさに"観ないで死ねるか!"だったりするのだけど(笑)、あたしがこの作品を観るにあたってのスタンスとして、「Vol.1」と「Vol.2」は元々1本の作品であったのを無理矢理2分割したものであり、「Vol.1」は起承転結の"起"と"承"に当たる部分、「Vol.2」は"転"と"結"に当たる部分であり、当然あのタランティーノのことだからして、「Vol.1」と「Vol.2」が同じタッチの作品になるはずもなく、「Vol.1」と同じものなどはまったく期待していないし、そして、やはり1本の作品なのだから、「Vol.1」と「Vol.2」のどちらが好きかなどという考えもあたしの中ではまったく意味を成さないというスタンスで鑑賞したということを最初にお断りしておく。といっても、このあまりのタッチの違いには、ホントにこれが1本の作品として撮られたのか?などというツマラン疑問もわいたりして(笑)。

 とまあ、そんな理屈はさておいて、"「KILL BILL」SAGA"の後半戦となるこの作品、「Vol.1」で謎として残った部分がすべて氷解し(1本の作品だから当然だ)、セリフ回し、キャラクターの設定など、随所にタランティーノらしさが満載の、ファンにとっては間違いなく安心して観ていることができる愛すべき作品に仕上がっているといっていいだろう。やはり、「Vol.1」は、このラストのクライマックスへ至るまでの単なる序章に過ぎなかったということが良く分かる。とはいえ、今現在まで3回鑑賞した今でも(註:9/27現在で8回鑑賞)、まだまだあれもこれもと頭の中が整理されていなくて、かなり支離滅裂なレビューになっているのはご容赦くだされ。

 で、「Vol.2」は、ホントにストーリー重視。タランティーノが影響を受けたカンフー映画やマカロニ・ウエスタン映画へのオマージュが捧げられたといっても、実はこの辺の映画に疎いあたしには元ネタがどうとか言える知識もなく(汗)、それでも、局所に散りばめられた雰囲気で、「ナルホド~。」と思わせられてしまうというのがなんとも。

 それと、要所要所で語られるエピソードも無駄なんだけど無駄がない(笑)。そもそもタランティーノの作品って、極論しちゃうと無駄なセリフ、無駄なシーンの積み重ねみたいなところがあって、それが上手い具合に作品の中で機能しているから凄いんだと思うんだよね。パイ・メイ(この人のあごひげをサラリと撫でるその仕草がなんともキュート(笑))の猛特訓における"犬食い"のシーンとか、ビルがいきなり語るアメコミ・ヒーローの話とか、教会でのサミュエル・L・ジャクソン演じるオルガン奏者のツアーの話とか、バドのトレーラーハウスでバドがエルに訊く「お前が感じているのはどっちの"R"だ?」というセリフとか、"ザ・ブライド"に差し向けられた刺客が、彼女の妊娠を知って穴の開いたドア越しに「おめでとう!」って言って去っていくシーンとか、再会(と言っていいよね)を果たした"ザ・ブライド"とB.B.が一緒に「SHOGUN ASSASIN」(「子連れ狼」)を観るシーンとか(するって~と、B.B.はさながら大五郎か!?)、生き埋めから脱出した"ザ・ブライド"がカフェにフラフラと入っていくシーンとか(全然シチュエーションは違うんだけど、何故か「パルプ・フィクション」でミアがオーバードーズから蘇生したその後のシーンを思い出してしまった)、ビルの金髪好きのエピソードとか、B.B.の金魚のエピソードとか、ビルが"ザ・ブライド"に「半蔵さんの寿司の腕前は少しは上達したか?」なんて訊くシーンとそれに対して彼女が首を振るシーン(ってことは、1ヶ月の間、彼女は不味い寿司を食わされてたってこと?(爆))とか、バドの"出勤日チェック"のシーンとか(あと、ロケットが彼に「トイレが詰まったの。」なんていうのもあったな。バドのダメ男ぶりがこれでもかと言わんばかりに表現されてるよね)、とにかく枚挙に暇がない。その一方で、パイ・メイに仕込まれた技を脱出にしっかりと使ったり(この脱出シーンが、これまたBGMと絶妙にマッチしていてカッチョいいんだな、これが)、ビルとの会話の中で話題に出た五点掌爆心拳をしっかりと"ここしかない!"という場面に使ったりと、無駄なくシーンに織り込むことも忘れていない。

 また、母子の再会、ビルとの対決だけでなく、この作品のもうひとつの見所は、やはり"ザ・ブライド"とエル・ドライバーの一騎打ち。最初は荒野での服部半蔵の刀でのチャンバラという設定だったらしいのだけど、いざ蓋を開ければ狭く小汚いトレーラー・ハウスでの単なる殴る蹴る&取っ組み合いの喧嘩(笑)。お互いの拳法を駆使したりというのはあるんだけど、あれはどうみても単なる掴み合い(笑)。普通、便器に顔突っ込まないってば(爆)。でも、これがまた妙にハマっている。このバトル・シーンは、きっと忘れられないシーンになるんだろうな~。で、その喧嘩(笑)の中でエル・ドライバーの片目の謎が明らかにされ、お互いの師匠パイ・メイの末路まで明らかにされるとなると、当然勝負の落とし前をつけるのはあれしかないでしょ!みたいな。彼女には"死"よりも生き地獄を味わわせちゃえ、みたいな。ここで左目まで抉られたエル・ドライバーが悶絶寸前にのたうち回る姿、彼女の抉った眼球をグニャリと踏み潰す"ザ・ブライド"の冷酷さ。残酷なんだけど笑っちゃう(このシーンって、絶対最終章で語られるB.B.の金魚のエピソードとリンクしてるよね)。

 しかしまあ、キャラ設定ということになると、このダリル・ハンナ演じるエル・ドライバーの、バドのトレーラー・ハウスへトランザムを駆って疾走する姿がBGMと絶妙にマッチしてクールだったり、元の仲間のバドまで策を弄して殺しちゃう性悪女ぶりとか、その一方でメモ魔だったりするのが妙に可笑しかったり、彼女のセリフの中での「"おびただしい"って言葉好きよ。」なんていうのがすごく印象深かったり。

 あと、バドは完全に落ちぶれちゃって、今じゃ酒場の役立たずの用心棒。その退廃的な雰囲気をマイケル・マドセン、絶妙に醸し出しているのが凄い。でも、バドが唯一"ザ・ブライド"を返り討ちにしたということで、実は一番強かったりして!?その割には、エル・ドライバーに簡単に殺られちゃうのが哀しいけど(笑)。でもさ~、このふたりを見ていると、引退したヴァニータ・グリーンも含めて、オーレン・イシイを除いたTHE DiVASの面々って、あの教会での大虐殺以降落ちぶれちゃってるかも!?エル・ドライバーだって、なんか別に大きな仕事してるってわけじゃなさそうだし・・・。そういやビルだってホテルで隠遁生活だもんな。何が彼らをそうさせたのか?って、これは余談だけど(苦笑)。

 その他に嬉しかったのがエンド・クレジットでの遊び心と「Vol.1」からの主要な登場人物をすべて紹介してくれたこと(やっぱり、北村一輝は二役やってた)、ウマ・サーマンのクレジット(やっぱりこの4つは必須でしょ。"AKA Mommy"っていうのが好き。ついでにアーリーンも入れてくれたら完璧だったな)とまたまたやってくれましたの"恨み節"(笑)。エンド・クレジットといえば、この作品のスコアを手がけているのって、ロバート"ブラザー"ロドリゲスじゃん!と、その名前をクレジットに発見したときにはすごく嬉しかったにゃ~♪そういや、オーレンのスタントとしてクレジットされていた"MICHIKO NISHIWAKI"って、ありゃ絶対西脇美智子のことだよね。

 そして、この作品のサブタイトルとも言うべき"ザ・ラヴ・ストーリー"。最初はタランティーノとラヴ・ストーリーってなんだかかけ離れているような気がしたのだけど、いやいやどうして。男女の愛だけではなく、母性愛、兄弟愛、愛憎相半ばする感情、そういった、より広い意味での普遍的な愛というものが、見事に描かれている。

 "ザ・ブライド"とビルの間の愛。教会での大虐殺の前に再会を果たすふたりの間に流れる微妙な感情。その正体は最終章でのふたりの対決で明らかにされる。その根底に流れるどうしようもない男女の感情の揺れ。お互い愛していたのに、だけど・・・。このなんともロマンティックというには大袈裟だけどなんともムーディーな雰囲気に溜息。それだけに、"ザ・ブライド"がビルに五点掌爆心拳でとどめを刺すくだり、本当の"別れ"を前にしたふたりの表情に思わず涙。死に行くビルの表情が、なんともクールでカッコいい(ほとんど仁侠映画の世界だ)。"復讐"、のはずなんだけど、その根底に流れるのはどうしようもないお互いの"愛"だったみたいな。「Vol.1」では熱いものがこみ上げるところまでだったんだけど、この「Vol.2」ではとうとうマジ泣きかよ!(笑)

 その男女の愛を超越する"ザ・ブライド"の母性愛。妊娠が判明したときの衝撃、子供の未来のために組織を離脱しようとするその気持ち、娘を殺されたと思い復讐の道を辿るも、死んだと思っていた娘B.B.が生きていたと知ったときの彼女の感情、その表情。B.B.のベッド脇に置かれた"ザ・ブライド"の写真。そしてすべてに片が付いた翌朝にB.B.と一緒に見せるその晴れやかな表情。すべてを包み込む母の愛。父親の顔を知らずに母親に女手ひとつで育てられ(ということは、同じ境遇のビルのキャラに自らを投影しているのか?)、彼女にいいことも悪いことも、人生における様々な物事を教わったであろう(この辺が、もしかしたらB.B.の金魚のエピソードによって象徴されているのかな?)タランティーノの自身の母親への深い敬愛の念。そして、自らが母親になったことで母性というものをあらためて見つめ直したのではないかと思えるウマ・サーマン。この"ザ・ブライド"のキャラクターはタランティーノとウマ・サーマンのコラボレーションによって生み出されたものであるから、それぞれの人生観、視点からの"母性愛"というものに満ち溢れたキャラクターになるのは必然なんだろうか。

 また、ビルとバドの間のこれまた微妙な兄弟愛(と言っていいのか?)。バドがビルの前で質屋に売り払ったと言ってのけた服部半蔵の刀。だけど、実はそれは嘘。関係がこじれた兄貴の手前の照れ隠しなのかその真意の程は分からないけど、やっぱりそう簡単に手放すことなど出来やしない。そしてその刀に刻まれたビルからのメッセージ(これには泣けたね~)。そこにあるのはかつていい関係を築いていた兄弟の情愛。今はこんな関係になってしまったけど、それとは違うそう遠くはない昔に思いを馳せてしまう。そういったものをすべて呑み込んで咀嚼した上で吐き出したのがこの作品。これぞタランティーノ流ラヴ・ストーリー。それ故、これでいいのだ!
  1. 2005/07/15(金) 21:33:44|
  2. movies(英数)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

KILL BILL Vol.1

killbill.jpg
 
killbill.japanese.ver02.jpg

「許せない。許さない。」
お楽しみ度 ☆×∞

 4年間の昏睡状態から目覚めたとき、孤独な花嫁("ザ・ブライド")はすべてを悟った。そして心に決めた。私を裏切り、私のお腹の中に宿っていた子供までも殺した奴らをひとり残らず抹殺すると。復讐は、神が彼女に与えた運命なのだ。"ザ・ブライド"はたったひとりで闘いの旅に出る。世界を股にかけた、長く、そして壮絶なる復讐の旅に・・・。

 あたしがどれだけクエンティン・タランティーノ監督に思い入れがあるのか、改めてここで言ったり書いたりしても恐らくその真意の半分も伝わらないとは思うけど、とりあへず考えを整理する意味で書かせてもらう。

 あたしが映画にハマるそもそものきっかけは、ロバート・ロドリゲス監督の「エル・マリアッチ」なんだけど、そこから派生する形で「こういうテイストの作品を気に入ったのならこっちもきっと気に入ると思うよ。」という悪友のなおちゃんに薦められた「レザボア・ドッグス」をビデオで観て、そしてちょうどいいタイミングで公開された「パルプ・フィクション」を観たことによって「エル・マリアッチ」以上の衝撃を味わい、「あたしが求めていたのはこういう奴なんだ!」と一気に開眼、完全にインディペンド系の作品にハマり、その後はメジャー作品ではなく、インディペンド系、単館系の作品を貪るように観ることになる。

 つまり、ロドリゲスを介在しはしたけど(後から彼もタランティーノの大のお気に入りだということを知ることになる)、タランティーノと出会っていなかったらここまで映画にのめり込むことはなかったし、自分のサイトを開設して今こうやってタラタラと駄文を書くこともなかっただろう。間違いなく今とは違った人生を歩むことになっていたと思う。そういう意味でも彼はあたしの人生に多大なる影響を与えた男、いや、あたしの人生を360度、もとい180度変えた罪作りな(笑)男と言っても過言ではない。どうせならこんな"しゃくれアゴの映画オタク男"(爆)じゃなくて、カワイイ女の子に人生変えてもらいたかったけど(爆)。

 そんな彼の「ジャッキー・ブラウン」以来6年ぶりとなる新作は、一言で言うと完全な彼自身の趣味丸出しの下品で「パルプ・フィクション」の"fuck"の連発に続いて、今度は"bitch"の連発かよ!(爆))超B級おバカテイスト満載の"バイオレンス・チャンバラアクション・オタク映画"だということ尽きる。そしてそのバイオレンス描写(飛び散る血飛沫、もげる首、手足、特にあの青葉屋での日本刀バトル、ワクワクするね。HR/HMを聴いて感じるカタルシスと同等のものを感じる。そしてGOGO夕張との決闘シーンなんてもうサイコー!栗山千明の、あの目の据わり具合、マジでスゲェぜ。そういや、あの青葉屋にのた打ち回る死体の山の中にタランティーノ自身もいるらしいんだけど、一体どこに?)に血沸き肉躍る体内アドレナリン噴出度1,000%の、ツマラン理屈は力技でねじ伏せる、サイコーにクールでサイコーにサイテーな(笑)、彼自身が影響を受けた映画に対する愛情に満ち溢れた、どうしようもなく愛しい作品だ。この作品を捧げられた故深作欣二監督もいい迷惑、ではなく、きっと喜んでおられることでしょう(笑)。でもさ~、エンドクレジットのThanks Listの中で、監督の息子の健太氏のクレジットが"BENTA FUKASAKU"ってなってるのは流石にマズイんでないかい?(苦笑)

 また、6年ぶりの新作ということで、もしかしたらタランティーノの感性も鈍っているかも、な~んていう心配は杞憂に過ぎず、震えるくらい興奮し、タランティーノは何にも変わっていないという事実に狂喜乱舞し(やっぱ彼はサイコーの映画オタクだよ)、その喜びと興奮のあまり、最後は胸に熱くこみ上げるものが。まさかタランティーノの作品を観て泣きそうになるとは思わなかった(大バカ)。そんな自分のおバカ加減に気付いてまた泣きたくなってるし(爆)。で、結局朝から映画館に篭って気が付いたら3回続けて観てしまったのだけど、時間が許せば最終回まで観ていたかったな~。これほどまでに映画館を後にするのが名残惜しいと思った映画は初めてかも。ということで、本上映中に間違いなく最低でももう一度行きますよあたしは。今度は朝から晩まで"「KILL BILL」マラソン"を敢行したい(笑)。(註:結局、トータルで10回スクリーンで観た。)

 と、長い長い前置きはさておき(笑)、肝腎の内容はというと、単なる"おバカ&オタク&バイオレンス・チャンバラアクション映画"なので、中身なんてな~んにもありません(爆)。ってゆうか、この作品について四の五の小難しい理屈をこねて語るのなんてまったくもってナンセンス!本能で感じて楽しめるかどうか、好きか嫌いか、この一言に尽きる。楽しめなかったという人はまったくもって正常な感性の持ち主で、"ザ・ブライド"と同じでまだまだ理性が残ってます(笑)。そしてあたしのように、こんなにもバイオレンスなオタク映画を十分楽しんだという人は、かなり人間壊れかけてます。マジでサイテーな人間です(爆)。

 まあ、バイオレンス描写については個々の感性、生理的に受け入れられるかどうかというのがあるというのは十分理解してるつもりだし、この作品はそれ"だけ"の映画でもないのは周知の事実(だから、あんまりこういうことだけを取り上げて御託を並べたくはないんだけどね)。だけど、バイオレンス描写というのはタランティーノの作品を構成する重要な要素のひとつであり、そういったものものもすべて含めて飲み込まないと、タランティーノ作品の本質には迫れないと思うんだ。こんな寝言をあたしが言ってると、暴力礼賛の単なるアブナイ奴だと思われかねないけど(苦笑)。それに、今回は事前情報が嫌でも耳に入ってきたはずだから、それを承知の上で映画館へ足を運んだはずなのに、この期に及んで血飛沫が多すぎだとか、バイオレンス過ぎるなんて言う人は、やっぱりタランティーノのことを正しく理解しているとは思えないし(そういう人は過去のタランティーノ関連作品をちゃんと観て、「KILL BILL」関連本&関連サイトをしっかりチェックしてから出直すか、縁がなかったということで今後は一切タランティーノ作品とは関わり合いにならない方が精神衛生上よろしいかと(爆))、また、過去の3作品と比較してどうとか言うのもナンセンス。この作品はただ単に彼の頭の中にあるイメージのおもちゃ箱をひっくり返したものを具現化したものであり、後はそれに同調できるかどうか、同化できるかどうか、ただそれだけ。

 だから、ここでは"通"ぶってこの作品の元ネタがどうとか、各所に散りばめられた小ネタがどうとかということには一切触れるつもりはございませんことよ(でも、やっぱり"レッド・アップル・シガレット"には思わずニヤリ)。そんなもんは、ネットを駆使するなり、関連本が掃いて捨てるほど出版されているのでそちらを参照するのがよろしいかと。

 だけど、ひとつだけ言えることは、例えばかなりスベリ気味の寿司屋での会話(あそこにソニー千葉ちゃんと一緒に出てくるハゲって"宇宙刑事ギャバン"&"バトル・ケニア"の大葉健二ぢゃん!うう~、懐かしい)や、おバカ日本語&英語がごちゃ混ぜになっているセリフ回し、勘違い日本描写などは、間違いなくすべて計算づくのものだということ。そして時間軸を巧みにずらして交錯させるという構成の上手さは相変わらず。そういやアニメのオーレン・イシイの少女時代の声優にクレジットされていた"Ai Maeda"って、あの前田愛のこと?声だけの出演ってことはもしや・・・?と思ったら、彼女と同姓同名の声優さんでした(笑)。

 また、作品自体のテンポも非常によく、ウマ・サーマン(あのピー音で消される"ザ・ブライド"の本名は何なんだよ?放送禁止用語か?(爆))をはじめとする出演者が皆生き生きとそれぞれのキャラクターを演じているので(ルーシー・リュー演じるオーレン・イシイの白い着物姿がなんともハマってるし、今回は出番は少ないものの、ダリル・ハンナ演じるエル・ドライバーの病院での赤い傘と白いスーツのコントラスト、そして服装に合わせて変わるアイパッチも絶品)、2時間を全然長いと思わずにあっという間にクライマックスへ。これじゃあ続けて何度も観たいと思う筈だわ。そして、「Vol.2」への期待を繋ぐに十分なあのエンディング。ああ~、来年のGWといわずに、今すぐにでも「Vol.2」を観たい!ちなみに、サントラもそれぞれの局面に非常にマッチするクールなもので(青葉屋のオープニングでの布袋アニキの"Battle Without Honor or Humanity"なんて、ゾクゾクくるくらいサイコー!だし、"ザ・ブライド"とオーレン・イシイの対決シーンでの"Don't Let Me Be Misunderstood"のイントロ(どうせなら、尾藤イサオ兄貴のバージョンを使ってくれ!(笑))や"修羅の花"なんかも妙にマッチしてるし)、頭の中では"恨み節"(これもアルバムに収録してくれたら文句なしだったんだけどな~)がグルグル回りっぱなし(爆)。しかし、いいのか、こんなクダラナイ、中身も何にもないサイテーな作品のレビューにこんなに字数を使って?ま、いいか。どうせ、映画と同じで中身も何にもないレビューなんだから(汗爆)。もっとも、これでもかなり抑えたつもりなんだけどね(汗)。
  1. 2005/07/15(金) 21:28:15|
  2. movies(英数)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

mista-bone

06 | 2005/07 | 08
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Category

Links

Search

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。